EPADパートナーインタビュー:こまつ座/代表・井上麻矢
取材・文:山﨑健太 写真:桑村ヒロシ
EPADでは2022年度から、デジタルアーカイブの活用をより推進していくため、舞台芸術に関わるいくつかの団体やスペース、フェスティバルとパートナーシップをむすんでいる。舞台芸術のアーカイブの意義とは何か。EPADとパートナーシップをむすぶことにどのような可能性があるのか。こまつ座代表の井上麻矢に話を聞いた。
三つの使命
——EPADとのパートナーシップの話が提案されたとき、考えたことを教えてください。
最初にお話をうかがったとき、知らないうちに涙が出ていたんです。これはたぶん、父の思いをようやく実現することができると感じたからだと思うんですけど……。
父からこまつ座を継いだときに「いずれ公共にしか演劇の資金というのは流れなくなる。民間でやっていくというのはすごく大変なことになってくると思うけど、迷惑かけちゃってごめんね」ということを言われました。それでもやっていくためには、どんなに小さくてもいいから拠点を持てと。言われたことはあと二つあって、一つが自分の作品を世界中の人に見てもらいたいということ、もう一つが作品を残していきたいということでした。この三つをとにかく意識して頑張ってほしいと言われて、私はこれを父からの精神的な意味での遺言だと思っています。でも、15年間やってきて私は何も達成できていなかった。私は父の作品を残すことを神様から与えられた使命みたいに思っているんですけど、それが今回、EPADさんからお話をいただいたことで、叶うかもしれないと思ったんです。
しかも今回、『紙屋町さくらホテル』を8KカメラとDolby Atmos®️で収録してくださるということになりました。私はこの作品を、全ての演劇人への思いが込められたものだと思っているので、そういう作品を選んでいただいたということにも感動しました。
変化する価値観
——EPADとのパートナーシップについて、作品に関わる方たちの反応はいかがでしたか?
私が喜んでいたので、当然みんなも喜んでくれると思っていたんですけど、実は当初は反対意見もありました。こまつ座がそんなことをやるのかと。私もそう思っている部分はあるんですけど、やっぱり演劇は消えてしまう儚いものだからこそ美しいということも真理なんですよね。だから、そういう儚いものを映像として撮影したときに、全然別のものになってしまうのではないかという心配はわかるんです。特にプランナーの方にそういう意見は多かった。
もちろん生の舞台は生の舞台で素晴らしいものです。でも、たとえば今回の『紙屋町さくらホテル』みたいに8Kカメラで撮影すれば、ものすごくクリアな映像で作品を残すことができる。そういうことはこまつ座みたいな劇団こそきちんとやっていくべきだと思うんですと説得をして。専門的・技術的なことは私にはわからないので、私がEPADの何に心を動かされたのかということを中心に話して押し切った感じですね。私は、井上作品を次の時代に残してもらえるという意味で、方舟に乗せてもらえたくらいに思っているので。
他にも権利関係のことを心配された方もいましたし、劇場に来る人がただでさえ少なくなってきているのに、ますます生の舞台をやる機会が狭まってしまうのではという危機感を持っている方もいらっしゃいました。ただ、若い人って、うちの娘を見てても思うんですけど、すごい慎重なんですよね。バブルも知らず、生まれたときからずっと大変な時代を生きていて。彼女たちは、何かを買ったり見たりするなら、その前にまずは確認したいと言うんです。そういう価値観は私にはなかった。まずはちょっと見てみて、それからやっぱりこれ生で見てみたいよねということになるなら、映像はそういう世代の人たちが生の舞台を見るためのきっかけになり得るんですよね。そういう意味でも、舞台を映像で残すことが劇場がなくなることに直結することはないと思うんです。
三好(EPAD事務局) 映像配信という形式が出てきたこともそうですけど、時代が変わってきているところはあると思うんです。それは作り手の意識も同じです。たとえば、昔は初演さえやれればいいと思っている人も多かったと思うんですけど、それはお金にもチャンスにも余裕があったから次が作れたということでしかないんですよね。下の世代は、再演はもちろん視野に入れつつ、海外公演もできるような展開で作品を作っている人たちが多い。これからは、そこにさらに配信での収益や放送料も視野に入れて考えていくことになると思います。
若い世代ではシェアをすることが当たり前になっていることも大きいと思います。作り方を含めてどんどんシェアをしていって、お互いにインスピレーションをもらいあう。上の世代には作品は自分たちのものだという考え方が根強くあると思うんですけど、そこは考え方が大きく変わってきている。どれが正解ということはないんですけど、EPADの事業を通じてそういう考え方が違う世代をつなぐようなこともできるんじゃないかと思っています。
井上ひさしが残したもの
——井上ひさしの作品は戯曲も全集が出版されていますし、かなりの資料も残されています。こまつ座では公演ごとに「the座」という充実したパンフレットも発行していて、他の劇作家と比べると相当に充実した資料が後の世代に残されていると感じます。
実は、私がこまつ座に入った当時は残さないことが心意気みたいな時代で、たとえばある作品を再演するとなったときに全然資料が残っていないということもあったりしたんです。それで私が入ってすぐに社長になってしまったときに、とにかく資料はなるべく残すように、映像も、自腹でも必ず残すようにしました。
「the座」については、演劇的資料になるものを残すというのが40年前に父が作ったコンセプトで、手間も時間もお金もやたらとかかるんです。でも、とにかくそのコンセプトを守って作り続けていて、だからそれも全部資料として残っていくといいなと思っています。それこそどこかの企業さんとかがこまつ座のものを全部一括して残してくれるみたいなことになるとすごく嬉しいんですけど……。
——残していくという意味では、こまつ座の最も大きな特徴は上演を続けるというかたちで作品を残すことを実践しているという点だと思います。
結局、ランドマーク的な人がいなくなってしまった劇団というのは、キープしようと思っていると下がっていってしまうと思うんです。劇作家だって若い人がいっぱい出てきますし、舞台だってたくさん素晴らしいものがありますよね。だから、今のこまつ座くらいのペースでやっていかないと井上ひさしがあっという間に忘れられてしまうんじゃないかという恐怖感もある。それが嫌でとにかく狂ったように仕事をしていた時期がありました。それは私にとっては大事なことだったし、井上ひさしがいなくなってもこまつ座はやるんだという安心感を与えるためには、やっぱり10年は必要だった。
2年後には井上ひさし生誕90年なんですよ。もう若い人にとっては昭和の、すごい前の人だと思うんです。その垣根を超えるためにも舞台の映像があることは重要だと思っています。劇場に行けば上演が見られるのはもちろん、映像でもそれに触れることができるということ。井上ひさしは日本の歴史との関係のなかで演劇を考えるということを一番やっていた作家だと思いますけど、エログロについて書いた文章もあります。そういういろいろな面に触れられる環境があってはじめて井上ひさしが残っていくということになる。舞台の映像が残せることになって、これは歯が生え揃ったみたいなことだなと思ったんです。前歯だけでも食べ物は食べられますけど、全部の歯が揃って噛み砕いたものの方がきちんと栄養になるというか。それは観客にとっての栄養にも、演劇人にとっての栄養にもなっていくはずです。
舞台芸術の未来とこまつ座のこれから
さっきは舞台を映像で残すことが劇場がなくなることに直結することはないだろうと言ったんですけど、一方で、長いスパンで考えたら生の舞台芸術というものは廃れていくものなのかもしれないとも思うんです。たとえば、今は音楽も配信が中心になってきていますけど、今も音楽をレコードで聞く人たちは一定数いますよね。そうやって、生の舞台を見る人が少なくなっていくということはあり得る。すでにそうなってきているところはありますが、生の舞台は高価なものになってしまって、みんなが劇場に行けるわけではないという時代が来るような気がするんです。そうなったときに、自分たちのつくったものが映像として残っているということはますます大事になってくる。だから、自分たちの小さな人生のスパンで考えない方がいい。舞台の映像を財産として未来に残すことの意義は計り知れないはずですから。
——こまつ座の今後について考えていることを教えてください。
いま残っているものを残していくということがどれくらいできているかもわからないんですけど、次なるステップとしては、4年に1回くらいは新作を立ち上げていきたいと思っています。井上ひさしが作ろうとしていたものの種がまだいくつか残っているので、あるものの上演は続けながら、『母と暮せば』や『木の上の軍隊』のようにいろいろな人に作品の芽を育ててもらうということをしていきたい。そうすることで、井上ひさしの魂を分霊するというか残しながら、若い人たちと仕事をしていくようなかたちに持っていく。それができれば、あとは次の世代に任せられる。もちろん、権利関係とか面倒くさいことはたくさんあります。
でも、コロナ禍を経て、何が大切かということを改めて考えたときに、信頼以外にないなと私は思ったんです。今までやってきた過去への信頼と、これからやっていく未来への信頼。自分のことだけじゃなくて、もっと大きな意味で残していかなきゃいけないんだということをみんなが理解していれば、いろいろなことがうまくいくんじゃないかなと思っています。