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2026.03.17

【インタビュー】近藤つぐみさん(早稲田大学 坪内博士記念演劇博物館・助教)|早稲田大学演劇博物館 2025年度春季企画展「演劇は戦争体験を語り得るのか」について

EPADが協働する早稲田大学演劇博物館(以下、演博)では、2025年度に春季企画展「演劇は戦争体験を語り得るのか ——戦後 80 年の日本の演劇から——」が開催された。
 
演博が運営する「Japan Digital Theatre Archives(JDTA)」では、EPADで収集した舞台公演情報が閲覧できるほか、掲載作品の多くが館内で視聴可能だが、同展では、そのうち展示利用の許可を得ている作品が5つ紹介された。
この展示は、日本の演劇作品において第二次世界大戦の経験がどのように語られ、表象されてきたのかを紐解く企画であり、前述の5作品にかぎらず、公演ポスターや戯曲、原稿、舞台美術模型、公演映像など、演博が収集・借用した資料のうち約100点が紹介された。
 
戦後80年であった2025年、舞台芸術をめぐるアーカイブ資料は、どのようにひらかれ、人々の心へ届いたのだろうか。展示の企画・構成を担当した近藤つぐみさん(早稲田大学 坪内博士記念演劇博物館・助教)に、実施の経緯や、展示内容、企画を終えての感想など、さまざまに話を聞いた。
 

 


 

アーカイブを通して、戦時下に想いを馳せること

──まずは企画の実施経緯について教えてください。
 
演博の展示は、助手や助教が関心を持つテーマに引き寄せて、アイデアを出していきます。
今回は企画展のタイトルの通り、戦後80年であったことが理由のひとつです。シェイクスピア『ハムレット』の言葉にもあるように「演劇は社会を映す鏡」であるならば、戦後80年間の日本で作られた演劇作品は、この時代を生きた人たちがどのように戦争を捉えていたかをある程度反映しているのではないかと思いました。「アーカイブ」の精度としても80年という期間は良いタイミングだと考えます。
 
またもうひとつ理由があります。戦争は現在進行形でも起きていて、多くの人がこの現実に頭を支配されている時期だと感じました。私もその1人です。現実で起きていることに対して、演劇や芸術に何ができるかを考えるのは難しい問題です。全ての演劇が戦争のことを題材にすべきとは思っていませんが、戦時下の人々の痛みを想像する作品を観ることは大切だと感じます。
私は普段、ヨーロッパのダンスやバレエを専門としているので少し異なる領域でしたが、戦争を取り上げた演劇を、今回のテーマとして取り上げることは有意義だと考えて、実施を決めました。
 
──展示の構成は5章にわかれていましたね。
 
時代順とテーマ別を掛け合わせたような展示にしました。第1章は「『当事者世代』の戦争演劇」。第二次世界大戦の終戦直後に、その戦争の様子を演劇で表現した世代の作品を紹介しました。
第2章は「原爆の表象、あるいは表象不可能性」。新劇の作家として著名な小山祐士さんの『泰山木の木の下で』や別役実さんの『』など、1960年代に原爆をテーマとした作品が多く生まれたので、年代の並びとしても第2章にするのが良いと思いました。
第3章は「『焼け跡世代』の演劇人と戦争の影」として、主に60年代から70年代にかけて盛んであったアングラ演劇から戦争を扱った作品を取り上げました。
第4章は「さまざまな視点から見た戦争」というタイトルです。これはアジア諸国に対する統治支配など、戦時下の日本の加害性に焦点を当てた作品を紹介しています。関連する作品は2000〜2020年代に目立ったので、年代としても3章の次に設定するのが良いと思いました。
第5章は「沖縄と終わらない戦争」です。沖縄返還70年である2022年は、沖縄をテーマとした演劇作品が多数上演されました。数年前のできごとなので、このテーマは時代順としても最後に設定しようと考えました。
 

 

資料に向き合い、問いについて考え続けたい

──資料にあたってみて、いかがでしたか。
 
戦争と関連するワードを含めて、さまざまに検索をしました。すると、収蔵されている資料は、各章でその差が大いにありました。やはり原爆の被害を扱う作品が多いです。それに比較すると、第4章のように統治支配の歴史を演劇にした作品、つまり日本の加害性に焦点を当てた作品は少ないです。
 
──印象深い資料はありましたか。
 
たくさんあります。なかでも私自身がメインで担当した第5章(沖縄での戦争を扱った作品)については印象深いものが多いです。
沖縄には、支配と被支配、差別と被差別の繰り返しの歴史があり、それが演劇作品にも反映されているように思います。知念正真さんの戯曲『人類館』はまさに差別の繰り返しをテーマにした話ですね。
また資料を見ていくうちに、沖縄を描いた演劇作品は、沖縄戦のことだけではなく、複数の時代に目を向けているという共通項が浮かび上がってきました。
たとえば、マームとジプシー『cocoon』(作・演:藤田貴大)は、2022年版の演出において、客席にいる今の私たちに対して呼びかけるというプロローグがありました。これは現在と過去を同じ舞台の上でつなげようとする試みなのだろうと感じます。また、KAAT神奈川芸術劇場プロデュース『ライカムで待っとく』(作:兼島拓也、演出:田中麻衣子)では、物語の途中で沖縄の過去の歴史的なシーンが、断片的に現れては消えるというシークエンスが入っていました。
 

 
──「複数の時代に目を向けている」という共通項の発見は興味深いです。多くの資料から、展示する作品をどのように決めていったのでしょうか。
 
関連するテーマを扱っているかどうかだけでなく、演劇作品として演出をどのように工夫しているかも、注目すべき点だと考えて準備をしていました。テーマの重要性と作品の強度が合致することは大切だと思います。
一方で、この展示の企画者として自覚しなければならないのですが、ここで取り上げた作品は、“展示”という性質上、どうしても“戦争を扱った演劇の代表格”に見えてしまいます。今回取り上げられなかった重要な作品もたくさんあります。「これらだけが日本の戦争演劇作品です」という展示の仕方はしていないつもりですが、一つの道標になってしまうんですね。付随する権威性については意識しつづけなければならないと思っています。
 
──EPADの舞台公演映像収集においても、同様のことを意識する必要があると考えます。
 
この企画展も、EPADさんが収集する作品群も、未来から批判されて良いと思います。「なぜこの作品は展示/収蔵しないのか」と。そのような声を通じてアーカイブは充実していくと思います。
歩みを絶やさないことが大事だと考えていて、この展示のタイトルも当初は「演劇は戦争体験を“語り得た”のか」と過去形を予定していたのですが、「〜語り得るのか」という現在形の問いにしました。これはイエス/ノーで答えてほしいのではなく、演劇に関わる人たちに「この問いを心に抱えて考え続けてほしい」という想いがあります。
 

戦争を扱う演劇作品を身近に捉えてもらうために

──資料はどのように展示されたのですか。
 
資料が複数の時代やジャンルに及ぶため、来館される方によっては知らない作品も多いと思います。戯曲の根幹に触れる台詞を仮設の壁に縦書きで掲示するという形をとり、作品自体を知らなくても、台詞をじっくりと読みながら展示を見ていただけるような流れをつくりました。
 

 
──EPADが収蔵する舞台公演映像も展示されました。
 
先ほどお話しした通り、時代やジャンルを横断して資料を展示しているため、映像においても、舞台の雰囲気が異なる5作品を選びました。
 

劇団青年座『ザ・パイロット』(作:宮本研、演出:五十嵐康治/1985年)
演劇実験室◎天井棧敷『疫病流行記』(作・演出:寺山修司/1975年)
燐光群『サイパンの約束』(作・演出:坂手洋二/2018年)
劇艶おとな団『9人の迷える沖縄人~after’72~』(脚本:安和学治・国吉誠一郎、演出:当山彰一/2022年)
流山児★事務所『キムンウタリ OKINAWA1945』(作・演出:詩森ろば/2023年)

舞台公演映像が展示された作品

 
私たちは博物館として、資料をある程度フラットに見せるようにしています。来館者がそれぞれ、心に残ったものを持ち帰れるようにするためです。展示する際は、各資料と近いサイズのモニターで映像を流し、それぞれが同列に見えるようにしました。
 

 
──来館された方の様子はいかがでしたか。
 
ありがたいことに、幅広い年齢層の方がいらしてくださいました。大学のゼミや高校の課外学習で来館してくださる団体の皆さんもいらして、とても嬉しかったですね。私自身も何グループかご案内をしました。
重たさのあるテーマですが、楽しんで見ていただいたことが印象的で、学生さんがポスターに書いてあるスタッフの名前を指差して「あ、〜〜さんだ」と話している姿がありました。自分の知っている人が戦争を扱った作品に関わっていたんだと思ってもらうだけでも価値があると感じます。壁に掲示した台詞に向き合い、熱心に見てくださった方もいて嬉しかったです。
 

“エフェメラル”を意識しながらも、まずはアーカイブを

──近藤さんご自身の舞台芸術アーカイブに対するお考えをお聞かせください。
 
「舞台芸術」は研究の文脈でよく「エフェメラルなもの」と言われます。直訳すると「儚い」という意味ですが、要は一時的に現れては消えゆくものという文脈で使われています。
EPADは時には、世間に出すつもりで収録したものではなく、劇団がたまたま撮っていた記録映像を後から権利処理をして視聴できるようにサポートすることもありますよね。アーカイブやその権利処理を通じて、一過性だったはずの上演が映像で繰り返し見られるということは、個人的には面白いものだと思っています。
 
──EPADは、生で鑑賞できる機会の橋渡しとして映像のアーカイブや利活用を進めていますが、たしかに「映像で繰り返し見られる」という面白みにも焦点を当てることは興味深いです。
 
そうですね。一方で、残されている映像は“実際に上演された期間の1回でしかない”ということは、観る側も意識しなければいけないと思います。
映像で演劇を観ることの是非や、映像のほかに演劇作品を記録していく方法はないのだろうかという問いは、ずっとついて回ると感じますが、まずはアーカイブを進めてみることが大切だと考えます。そのうえで、アーカイブの方法や利活用の仕方を模索していけると良いのだと思います。
 

展示の企画協力者である関根遼さん(左)と矢内有紗さん(右)とともに

 
(2025年12月取材)
取材・文・写真:臼田菜南(EPAD事務局)
 


 
*オンライン展示
「演劇は戦争体験を語り得るのか ——戦後 80 年の日本の演劇から——」
同展の様子を記録したバーチャル展示室が、早稲田大学演劇博物館WEBページにて公開中。
https://enpaku.w.waseda.jp/ex/21385/