LOVE
2026.03.20

街と人のささいな記憶を残す、演劇ユニットせのび・村田青葉の未来への種まき

演劇や舞踊、伝統芸能といったあらゆる舞台芸術のデジタルアーカイブに注力してきたEPAD。舞台芸術に関わるみなさんに、これまでの活動で影響を受けた作品を振り返っていただきながら、舞台芸術をアーカイブすることの意義に迫る連載「舞台のあしあと」をお届けしています。
 
第3回のゲストは、劇作家・演出家の村田 青葉(むらた あおば)さん。村田さんは1994年宮城県仙台市生まれ、岩手県盛岡市在住。岩手大学在学中に「演劇ユニットせのび」を旗揚げしました。2021年には「かながわ短編演劇アワード」戯曲コンペティションでグランプリを受賞後、「若手演出家コンクール2022(優秀賞受賞)」「第13回せんがわ劇場演劇コンクール」に参加するなど、東北を代表する若手演劇家のひとりとして注目を集めています。
 
そんな村田さんの創作テーマは「記憶」。「その人が大切にしている、けれども語られなければ誰も知ることがないようなもの」をたぐり寄せながら作品をつくり続けてきた村田さんに、ご自身の活動と「記憶」についてお聞きしました。
 

街と人の記憶をたどりながら

——まず、ご自身の活動について教えてください。
 
岩手県の盛岡市を中心に活動している「演劇ユニットせのび」で劇作・演出をしています。「ささいな記憶」、つまりはその人が大切にしている、けれども語られなければ誰も知ることがないような記憶をテーマに創作しています。
 
実際にユニットのメンバーの記憶をもとに作品を組み立てていくこともありますし、最近は街の中にある建物や通りを題材に、その場所に思い出がある地域の方へヒアリングをして上演を設計する『ト(゛)リップ』という企画にも取り組んでいます。普段、盛岡の旅行会社に勤めていて、まち歩きのガイドを担当しているということもあり、その地の歴史的なお話を見聞きすることにも興味があって。それがこの『ト(゛)リップ』にも活かされているように感じます。
 
——『ト(゛)リップ』についてもうすこし詳しく聞かせていただきたいです。
 
いちばん最初につくったのは、盛岡にある旧石井県令邸で上演した『ト(゛)リップ 〜旧石井県令邸編〜』でした。旧石井県令邸は明治18〜19年に建てられた建物で、盛岡でもっとも古い本格的な煉瓦造の洋館と言われています。当初はいまで言う「県知事」にあたる方の私邸として使われていたものが、建物を管理している方からお話を聞いたり、資料を調べたりしているうちに、第二次世界大戦後にはアメリカ軍に接収され、そのあとダンス教室になり、看護学校になり……そして今はギャラリーになっているということが分かりました。「この建物の変遷を、お客さんが追体験できるような作品にしたい」と思って上演を設計しました。
 
——その後、ストレンジシード静岡2025『ト(゛)リップ-七ぶら編-』、世田谷美術館での「Performance Residence in Museum2025-26」と各地での取り組みへと繋がっていくのですね。
 
ストレンジシード静岡2025『ト(゛)リップ-七ぶら編-』は、七間町通りという通りを舞台にしました。ここはかつてどういう通りだったのか、その通りで生きてきた人たちにはどんな思い出があったのか。お話を聞きながら作品に落とし込みました。
 
お話を聞くうちに「昔は江戸につづく街道だった」とか、「銀座を歩く『銀ぶら』という言葉があるように、七間町通りにも『七ぶら』があった」とか、だんだんと当時暮らしていた人々の記憶が見えてきたんです。
 

ストレンジシード静岡2025『ト(゛)リップ-七ぶら編-』では静岡の街中で上演

 
でも、そのような創作形態をとっているうちに、今度は「作品づくりを目的にお話を聞くことは、果たして健全なことなのだろうか?」という問いが生まれてきました。つまりは、どれだけフラットに話を聞こうとしていても、最終的には作品という作為的なものにするために、お話を聞いている中で「この話は作品に活かせそう」とか、「作品のためにこんな質問をしたい」など、徐々に作劇に寄せてしまっている自分がいるのではないかと思ったんです。そうした葛藤もあって、2025年に世田谷美術館で開催された「Performance Residence in Museum2025-26」では、まずは、お話を聞くことに集中しました。
 

ヒアリングをする村田さん

 
この企画は「アーティスト・イン・レジデンス(AIR)」と言われるもので、15日間アーティストが美術館に滞在しながら、自身の創作に活かせる何かを持ち帰る、というものでした。「作品をつくることは必須ではない」という話でしたので、この機会に「作品にすることをいったん考えずにお話を聞くことにしよう」と思ったんです。
 
その結果、自分の根幹には「創作のためだけではなく、ただ純粋に、その人の持つ個人的な記憶を聞きたいんだ」という想いがあることがわかりました。自分は、そもそも人が持つ「ささいな記憶」そのものが好きなんだなと。その上で、お話を聞かせてもらった以上は恩返しをしたく、そのかたちが「演劇」なのかなと。それが自分が作家としてやるべきことなんだと気づきました。
 

演劇に敬意を払いすぎない。あくまで主役は「あなた」である

——『ト(゛)リップ』を経て、作劇に対する想いも変わりましたか。
 
話をしてくれた人たちが作品を観た時に「話をしてよかったな」と思ってもらえるものをつくりたいと思うようになりました。わざわざ場所を貸してくださったり、話を聞かせてくれた人に悲しい思いをさせたくないなと。その方が話していないことを書いたり、意図していない内容で作品にしてしまうことがないか、そこは注意しながら作品をつくっています。その上で、「演劇って面白いな」と思ってもらえるようにもしたいです。
 
——村田さんは「演劇は触媒であり、主役は観客自身である」という考えを大事にされていますよね。そのあたりは、この考えにも通ずる部分があるんでしょうか。
 
いろんな想いがありますが、まずはお客さんと演劇がフラットな関係であってほしいと思っています。劇場で席に座って演劇を観るという行為が、僕にとっては演劇に対して「敬意を払いすぎている」ように感じるんです。動くことや、咳をすることもためらわれたりするというのが、かしこまり過ぎているというか。『ト(゛)リップ』では街の中で芝居をするので、たまたまそこを通りかかった方も観られます。そこで演劇を触媒に、観てくれるみなさんに何かが波及していくということを直接感じられるからこそ、劇場で観る演劇には少しもどかしさを覚えます。
 
あとは、観客の方々の人生や存在そのものを肯定する、という意味での「主役は観客」です。先ほどもお話したように、作品をつくるにあたってヒアリングをさせていただいた方に恩返しをしようとすると、やっぱりその方の人生を肯定できるような、あるいは観劇後に何かを愛おしく思えるような公演をしたいと思うんですよね。
 
盛岡で公演をしていると、お客さんの顔がよく見えます。その一人ひとりに家庭や仕事があって、その隙間で時間を見つけて足を運んでくれている。そういうことを考えると、僕には脚本より観に来てくださった方々の人生のほうがよっぽどドラマティックなものに思えてくるんです。演劇はあくまで、そんな皆さんの人生のすばらしさを呼び起こしたり、増幅させる装置でしかないと、僕は思っています。
 
——盛岡公演のお話が上がりましたが、拠点を盛岡にこだわる理由は?
 
ユニットの掲げる長期的な目標に「岩手・盛岡まで作品を観に来てもらう団体になる」というものがあります。これは僕自身、作品が生まれた土地で観たほうが、より作品と共振できると考えているからです。
 
昨年参加させていただいた宮崎県三股町でやっている演劇祭「まちドラ!」にて、沖縄から参加されていた「劇艶おとな団」さんの作品を観たとき、ゆったりとした空気感を感じて。「これを沖縄で泡盛を片手に観たらもっと心地いいんだろうな」と思ったんです。じゃあ盛岡にはどんな土地柄があって、どのように作品に昇華されているんだろう?というのは、自分がずっと探し続けているところです。
 
たとえば岩手は東日本大震災を経験した土地ではありますが、かといって「作品でもっと震災のことを語ればいいのに」と言われると、自分の感覚としてはちょっとズレているような気がします。活動拠点の盛岡は沿岸地域と距離もありますし、その経験を経て、今生きているということの方が大事というか。もちろん、語っていくことも重要なことではあると思いますが、夏になれば冬の寒さを忘れてしまうように、震災から15年の時が経った今では、当時の感覚が失われつつあったり、時期が来ると思い出す、というようなリアルさの方を作品にしたいと考えています。
 
あとは、学生の頃から、今でもよく東京の方へ演劇を観に行っているのですが、東京から盛岡まで夜行バスで行くと8時間くらいかかるんですね。この8時間の移動が作品を反すうする時間にとてもよかったなと思うんです。自分にとっては観劇と移動が密接に結びついているので、実際に盛岡に来てもらうことで、それを体験して欲しいのかもしれません。
 

ヨーロッパ企画のDVDを持っていた、非・演劇部員

 
——最初に感銘を受けた舞台が現地で観たヨーロッパ企画の『建てましにつぐ建てましポルカ』だったとお聞きしました。これも東北から京都への大移動を含んでいますね。
 
いま思えば、そこが原点なのかもしれません。ヨーロッパ企画さんを初めて知ったのは、小学生のときに映画館の予告で観た『サマータイムマシンブルース』でした。「絶対観に行きたいね」と母と話したことを覚えています。そこから高校に上がって舞台版のDVDを買い、ほかの作品も揃えていくようになって。当時は演劇部でもないのに演劇のDVDをたくさん持っているという、変な高校生でしたね。
 
演劇を始めたのは、大学に入ってからです。サークルで自分も作品をつくることになったとき、「自分の原点でもあるヨーロッパ企画さんの舞台を生で観よう。しかも本拠地である京都で」と思い立ったんです。このときに観た『建てましにつぐ建てましポルカ』が本当におもしろくて、急遽旅程を変更して翌日も当日券でリピートして観劇しました。とにかく笑って、「この時間がずっと終わらないでほしい」って純粋に思いました。初めて生の舞台芸術の儚さと尊さを感じた作品でしたね。
 

公演日のエントランス。10年以上たっても、観劇した当時の写真のデータが残っていた

 
——ほかに影響を受けた作品はありますか。
 
東京で観た、はえぎわさんの『ハエのように舞い 牛は笑う』ですね。それが、はじめは内容を理解できていなかったものの、観劇後に反すうするうちにやっと物語が立ち上がってきて、意味がわかった瞬間に鳥肌が立つという……言葉で説明するのは難しいのですが、衝撃的なものでした。時系列はバラバラ、いろんな登場人物が入り乱れる断片的なシーンが続いていくなかで、一瞬彼らの人生が交わったりもするんです。いわゆる群像劇と言われるものですが、演劇との相性の良さを感じて。以降の自分の作劇にも、大きく影響を受けている作品です。
 
あとは、ロロさんの『BGM』(初演)。せのびのメンバーと車で盛岡から仙台に向けて南下して会場に向かったんですが、この作品は反対に東京から仙台に向かって北上していくロードムービーなんですよね。自分たちと物語を勝手に重ねて、興奮したことを覚えています。
 
ロロさんの公演は自分の中で、不思議と「誰かと観に行きたい」と思うような位置付けにあって、その後も東京で暮らしていた姉や大学の研究室の同期など、ふだんは演劇と馴染みのない人をよく誘って観に行っています。
 

『BGM』パンフレットと、参加していた「SENDAI OROSHIMACHI Art Marche」

 
——最後に、EPADは舞台芸術関連資料のアーカイブ活動を進めています。舞台公演の記録がデータ化されることについて、村田さんのご意見を聞かせてください。
 
僕が個人的にアーカイブを頼りにするのは、好きなものを「線」で追いかけるときです。たとえば興味のあるスポーツチームやお笑い芸人を見つけたとき、過去の記録を可能な限りたどってから最新の情報を心待ちにする、といったことをします。スポーツチームであれば戦績や所属した選手を調べたり、お笑い芸人であればかつてはブログ記事を追いかけたり、今はポッドキャストを聞いたりします。スポーツやお笑いはアーカイブ資料が多いのでそれができます。
 
でも、舞台芸術を遡ろうとすると、情報が少なかったり、そもそも入手しにくかったりして。舞台芸術の「線」ってなかなかつくれないんです。もちろんそれは、公演が終われば跡形もなく消えてしまう生の芸術ならではの美しさとも言えるのですが、この時代に線で追いかけにくいのは、観客やファンにとって「応援したい」という熱を持ちづらいのかもしれない、と思うんです。
 
だから上演映像や戯曲、それだけでなくインタビュー記事までアーカイブされていくのはとても良いことだと思います。たとえば子どものころ、親に連れてこられて渋々観た演劇があったとして。内容は覚えていないけど、何となくスゴかったことだけは覚えている。それをデータベースで調べたところ、その公演の時期や場所から作品名がわかって、その上演団体が近々最新作を公演することを知った。それがきっかけで「大人になったし、久しぶりに自分で観に行こうかな」と思ってくれたりするかもしれない。あるいは小さいころに作品で観た俳優を、そうとは知らずにテレビで見たり、書籍を手にしたりしていた、なんてこともあったりして。
 
アーカイブは記録の保存ではなく、次の世代につながっていく、いつか芽吹く種のようなものなのかもしれないと、いま答えながら思いました。
 
 
※本記事は、2025年12月〜2026年1月にかけて行った書面アンケートおよびインタビューでのご回答をもとに、対談形式に構成・編集したものです。
 
写真:村田 青葉さん
デザイン:原田 康平
構成・編集:須藤 翔、玉川 玲央奈(株式会社Camp)