劇場を“美術館”にする視線。舞台美術家・山本貴愛が集め残す、演劇のつくり
舞台芸術のデジタルアーカイブに注力してきたEPAD。本連載「舞台のあしあと」では、舞台芸術にかかわるみなさんに、影響を受けたアーティストや作品などを振り返っていただきながら、舞台芸術をアーカイブすることの意義に迫ります。
今回は、舞台美術家・衣装デザイナーの山本 貴愛(やまもと きえ)さん。山本さんはイギリスにあるボーンマス芸術大学のシアターデザイン専攻を首席で卒業後、王立ウェールズ音楽演劇大学シアターデザイン専攻準修士課程を首席卒業。学生時代より海外で演劇に触れてきた山本さんですが、意外にも中高時代には舞台ではなく音楽に夢中だったとか。
どこで舞台美術に目覚め、導かれ、そしてもうひとつの肩書きである「衣装デザイナー」への道を志したのか。アンケートを元にした取材でたっぷりお届けします。
森山未來さんに導かれた舞台美術家としての人生
——はじめて観た作品のことを覚えていますか?
小学生の時に見た某ファミリーミュージカルでした。当時は「なんかダサい」という感想だけを持った生意気な小学生でしたね。昔から、子ども向けにつくられた作品の演技や色合いに興味が湧かない子どもでした(笑)。
——どこが転換点になったのでしょう?
中学1年生の時、父の出張先のニューヨークで観た『キャッツ』でした。そのときの感想は「言葉はわからないけどなんかすごい」。ある程度大人になったのか、そもそも『キャッツ』が大人向けの作品だったからなのか、「ダサい」と思わなかったんです。
——それからはもう、お芝居にはどっぷり?
いえ。直後もあまり変わらず、中高時代は音楽に夢中でした。小学生のときから家庭の教育方針でヴァイオリンやピアノを習い、クラシック音楽ばかり聴いていた反動で、中学生のころはMr.Childrenやスピッツといった日本のポップスを。そこからヴィジュアル系のPIERROTやMALICE MIZERに、高校生のころにはRadioheadや The Smashing Pumpkinsといった洋楽のロックバンドにのめり込んでいたんです。高校から大学まではヴァイオリンを続けながらバンドでギターも弾いていましたね。当然、同級生とは話が合いませんでした(笑)。大学を卒業するまで音楽を堪能しながら、ミニシアター系の映画ばかり観ていました。卒業後にやっと舞台に興味を持ったんです。
——卒業後に何か大きな出会いがあったのでしょうか。
芸術系で留学をしようと思い、日本でその対策をしている専門学校に通っていたんです。もともとファッションと映画が好きだったこともあり、コスチュームデザインかテキスタイルデザイン、どちらを専攻するか迷っていたときのこと。当時観た『百万円と苦虫女』という映画に出ていた俳優・森山未來さんという存在に興味が沸きました。
——森山未來さん、ですか。
森山さんは世代が一緒なんですが、恐れながら『世界の中心で愛を叫ぶ』で一世を風靡されていた頃はそこまで興味がなかったんです。でもふと見た映画で、彼の演技やダンスをやってらっしゃる身のこなしから「なんていい俳優さんなんだ」と気づいて。本当に「勘」としか言いようがないですが、他の作品も見てみようと手に取ったのが、この『百万円と苦虫女』だったと思います。
そこから森山さんが出演されている舞台作品をよく観るようになりました。最初に鑑賞した「劇団⭐︎新感線」の『五右衛門ロック』という作品を皮切りに、いくつか未來さんが出演していた舞台を観に行って。そこから舞台というものにすっかり夢中になりましたね。やっぱりライブであるということ、美術、衣裳、照明などの総合芸術であるという点に惹かれました。
——その後、イギリス留学では舞台美術ではなくコスチュームデザインを選ばれるんですよね?
親の影響もあって、小さい頃からファッションは好きだったんです。実際、ファッションを学ぼうと思って留学の道を選びましたが、ファッションはマーケティング、つまり「売れるかどうか」を考えないといけないのに対し、舞台上のコスチュームは「売れる」よりも「物語に沿っているかどうか」を考えなければいけない。そこに興味を持って、美術と衣裳を両方学べるボーンマス芸術大学のシアターデザイン学科に進学したんです。その後、もっと演劇を学ぼうと思い、現地で舞台美術や衣裳に関する実践教育を行っている王立ウェールズ音楽演劇大学にも通いました。そこでは、シアターデザインの基礎から実際の舞台でのデザインまでを一貫して学び、卒業後すぐに現場で働ける力を養いました。その際に、映画祭で森山未來さんとはじめてお話しさせていただく機会があったんです
——森山さんとの初対面が、まさかイギリスだったとは。
偶然でした。森山さんが出演されていた『苦役列車』と『モテキ』がイギリスの映画祭で上映されたんですが、当時イスラエル留学中だった森山さんも来られていたんです。上映後に本人とお話できるチャンスがあったのですが、一緒に観に行った知り合いに「行こう」と手を引っ張られて。お会いして私がイギリスで舞台美術の勉強をしていることを言うと、森山さんから「日本の舞台美術ってなんで平面的なんですかね?」と投げかけられました。思いのほか会話が盛り上がったのを覚えています。
——共鳴されたのですね。
それで私が帰国してから2年ほど経ったある日、森山未來さんから急に連絡をもらって一緒にお仕事をさせていただくことになりました。私が初めて舞台美術と衣裳をデザインした『なむはむだはむ』(2017年)という作品です。子どもたちにお話を作ってもらうワークショップをして、そこから生まれたいくつかのお話を森山未來さん、作家・演出家・俳優でもある岩井秀人さん、そしてシンガーソングライターの前野健太さんがパフォーマンスに仕立てる、というものでした。

——どのように作品をつくられたのですか?
兵庫県の城崎国際アートセンターで滞在制作を2週間行い、いちスタッフであった私もクリエーションに参加するという、とても豊潤なクリエーションでした。森山さん含めクリエイティブスタッフの皆さんと打ち合わせしたとき、最初にあったキーワードから絵を描いていったんです。それを皆さんがおもしろがってくれて、最終的な形になりました。日本で参加した初めての作品がこのように豊かな作品であったことは、舞台美術家のキャリアとしても大きな財産となっています。
——まるで森山未來さんに導かれたようなスタートですね。
まさに、私の人生の岐路となるところには常に森山未来さんがいると言っても過言ではないと思います。日本で舞台美術家として活動するには、まず美術家のアシスタントから始めるのがまだまだ主流です。しかし私の場合は、前述した『なむはむだはむ』という作品を観てくれた方々から声をかけていただき、お仕事につながったケースが多くて。
作品が作品を呼ぶ。美術を担当した舞台からつながるコミュニティ
︎——他にも『なむはむだはむ』をきっかけに出会った方はいますか?
今でもよく一緒に作品を作っているうちのひとり、「ゆうめい」の池田亮さんもこの作品がきっかけです。池田さんは『なむはむだはむ』で演出助手をしていたのですが、スタッフとしては年齢が近かったこともあり、よくお話をしていたんです。その後、2019年に三鷹芸術文化センターで上演された『姿』という作品で初めてご一緒しました。

︎——そのときも山本さんは舞台美術を?
はい。台本が半分ほどできた段階で痺れを切らした私が勝手にアイデアを練り(笑)、模型を作って行ったらそのアイデアを気に入ってくれたという感じです。稽古場には仮の美術を入れてもらったんですが、池田さんと舞台監督が、まるでおもちゃを与えられた子どものように美術で遊んでいたのを今でも覚えています。池田さんはいつも想像を超えた美術の使い方をしてくれるのがおもしろいんです。その後も『娘』『あかあか』『ハートランド』などでご一緒しましたが、池田さんの空間の使い方にいつも驚かされていました。毎度どんな風に劇場を使ってくれるだろうとワクワクさせてくれる存在ですね。
——他にも舞台美術を担当して印象に残った方はいますか?
劇団「た組」の主宰者である加藤拓也さんも、何度もご一緒してきました。加藤さんは私が手がけたいくつかの舞台美術を観て声をかけてくださったのですが、初めて加藤さんと創作した作品は2021年にKAAT神奈川芸術劇場大スタジオで上演された『ぽに』という作品です。実は、このとき私と加藤さんをつないでくれたのは、『なむはむだはむ』の制作者なんですよ。

——加藤さんと山本さんとはその後何度もタッグを組まれています。
再演を含めると、全部で9回ですかね。少なくとも日本でいちばん組む機会の多い演出家です。今やたくさんの俳優が出演したいと思っているであろう加藤さんの脚本を、舞台美術家として真っ先に読むことができるというのはとても贅沢だなあと思います。美術における好き嫌いやコンセプトのまとめかた・考え方から色合いや形まで、美的な好みがとても似ているように感じます。いつもデザインをするのが楽しいんですよ。
美術館を巡るように、好きな舞台美術家の作品を観にいく
——ところで、イギリス留学のときのお話をもう少し聞かせていただけますか。
当時は「好きな舞台美術家の関わっている舞台を観に行く」という基準を自分の中で設けていました。イギリスではほぼすべての舞台美術家が個人のホームページを持っていて。観に行った舞台の美術が好みだったら、その舞台美術家のホームページを検索して過去の作品写真を見ることができるんですよ。
——すてきなカルチャーですね。そこで興味を持った現地のアーティストはいますか。
俳優のジェームズ・マカヴォイさんが出演されている『マクベス』で舞台美術デザインを担当されていたスートラ・ギルモアさんです。『マクベス』を観に行った最初の目的はマカヴォイさんを観ることだったのですが、スートラさんのデザインが本当に好みだったんですよ。彼女がデザインした作品は留学中にほとんどすべて観に行きました。スートラさんは美術もそうですが、美術のエイジング具合がいいなと思います。衣裳だとおそらくヴィンテージが使われていたり、古いものを参考に作られているであろう色使いや布選びなど、ディテールがとても素敵だなあと思いますね。私がイギリスで舞台美術を始めたからなのか、イギリス人の衣裳や美術デザイナーの使う色合いは基本的に好きです。
——留学を経て、舞台美術資料のアーカイブに関して何か思うことはありますか。
私は美術館に行くことも好きなんですが、好きな舞台美術家が関わる作品を観にいくのは美術館に行くことと同じ感覚なんです。
︎——なるほど。イギリスの舞台美術家の多くがホームページを持っているのはそうした「美術館巡り」のような探求をするのにも役立ちますね。
もちろん作家個人で資料のアーカイブに取り組むことも大事なんですが、なにより公的なものとして舞台美術関連資料が保存されて、気軽に見ることができる仕組みが大切だと思います。将来、舞台美術に関わる世代を育てるという意味でも。
——たしかに、美術館は資料の収集や後世への教育も担っていますもんね。
それに、日本で舞台写真が撮影される際には、役者のアップ写真がメインになることが多い印象です。でもそれじゃあ、観劇できなかった方にとってはどんな舞台美術なのかわからない。劇場に足を運んでもらうには何かしらのきっかけが必要ですが、出演者以外にも、舞台構造の分かる写真や映像でそれを提供できると良いなと思います。
——日本では、出演している俳優で鑑賞する作品を選ぶファンも多いように感じます。
そうですね。でも、演出や舞台美術で観る作品を決めてもいいんですよ。私にはいつか「私の美術を観にこられる方が増えてほしい」というささやかな夢があります。自分の仕事を通して舞台の魅力を伝えられたら、わずかにでも観劇人口を増やすことができるかもしれません。舞台美術家を目指す方が増えるきっかけにもつながればいいなと思います。
※本記事は、2025年12月に行った書面アンケートでのご回答をもとに、対談形式に構成・編集したものです。
デザイン:原田康平
構成・編集:須藤翔・玉川玲央奈(株式会社Camp)





