LOVE
2026.04.10

孤独を溶かす「記録の温もり」。緒川たまきが110カメラと8K映像に見た生の残像

舞台芸術のデジタルアーカイブに注力してきたEPAD。本連載「舞台のあしあと」では、舞台芸術にかかわる方々に、影響を受けた作品を振り返っていただきながら、舞台芸術をアーカイブすることの意義に迫ります。
 


 
「自分が出演している舞台を、観客席から見てみたい」
 
それは、俳優であれば誰もが夢見ることかもしれません。そして、そんな夢のような時間を過ごしたと振り返るのが、俳優の緒川たまきさん。ケラリーノ・サンドロヴィッチさんとともに演劇ユニット「ケムリ研究室」として活動している彼女は、2024年、EPADによって収録された自らの出演作『眠くなっちゃった』の上映会に参加しました。
 
EPADでは、2020年の設立当初から、舞台公演映像をアーカイブするための高画質の収録サポートに注力してきました。ケムリ研究室が2023年に上演したこの作品も、EPADのサポートによって映像収録を実施。しかし、その方法は、複数台のカメラを使った通常の収録ではなく、1台の8Kカメラによる定点撮影のみ……。
 
なぜ、このような撮影方法が選択されたのか?それは、この作品が上映された「EPAD Re LIVE THEATER in Setagaya 〜時を越える舞台映像の世界〜」の様子を見ればおわかりいただけるでしょうか。会場となったのは、本番が行われたのと同じ世田谷パブリックシアター。この舞台に設置されたスクリーンに、定点カメラによる等身大の高精細映像が投影されると、あたかもいま、目の前で演劇が上演されているような錯覚が生み出されます。イベント当日は、臨場感にあふれる新たな映像体験に、多くの観客が驚きの声を上げていました。
 

当日の様子。撮影:サギサカユウマ

 
はたして緒川さんは、俳優としてこの新たな映像体験をどのように受け止めたのでしょうか? 本題に入る前に、まずは、緒川さんにとっての「アーカイブ」の意味からうかがいました。
 

アーカイブに感じる不思議な「温もり」

緒川たまきさんの会話のリズムには、なんだか独特なものがあります。柔らかなトーンで発せられるその言葉は、ふっと詩的な表現が飛び出したり、目の前にあるものを擬人化で包みこんだりと、ちょっとだけ予測不可能。もちろん、それはインタビューの現場で「狙った」ものではなく、緒川さんが持っている、いつものリズムなのでしょう。
 
「アーカイブには、なんだか温もりを感じるんですよね」
 
そう話すとき、緒川さんの指は、比喩ではなくほんとうにその温もりを感じているかのように見えます。女優として、これまで数え切れないほどの映画・ドラマ・演劇に出演している緒川さんですが、その魅力の秘密は、そのような実感を伴って世界に触れる感性にあるのかもしれません。
 

 
緒川さんにとって「アーカイブ」という言葉で思い出すのは、かつて見た図書館の風景だといいます。そこで緒川さんは、「未来」を思い描くアーカイブの力に触れたそうです。
 
「現在はいろいろな本がデジタル化されていたり、取り寄せも簡単になっていますが、昔は、本を探すためには司書に相談する必要があったし、相談しても読みたい本が見つからないことも多かった。そんなときは、まるでシャッターが閉じられたような気持ちになって落ち込んだことを覚えています。
 
けれども、2000年代以降、だんだんと本の情報がデジタル化されていき、どの図書館に行けば、探している本が置いてあるのかを端末で検索してくれるようになりました。そうやって検索し、画面にアーカイブ情報が指し示され、書庫から出してもらった本を受け取る。そのとき、どこか『孤独じゃないんだ』って思えませんか? もしかしたらこの本が、わたしのことを待っていてくれたのかもしれないって」
 

 
2007年、ケラリーノ・サンドロヴィッチさんと出会った舞台『犬は鎖につなぐべからず~岸田國士一幕劇コレクション~』(2007年)へ出演するにあたって、緒川さんは図書館に足繁く通いました。作品の背景を理解するため、ときには入手困難な希少本を別の図書館から取り寄せる。そうやって、岸田國士の作品を片っ端から読み漁ったといいます。
 
「取り寄せた岸田國士作品を読んでいたら、どんどんとのめり込んでいき、いまでは『岸田國士』って名前を口にするだけで楽しい気分になる。それくらい大好きな存在になりましたね。
 
結果的に、この作品は岸田國士の代表作である『紙風船』『驟雨』『屋上庭園』などを使ったオムニバスになりましたが、あの時期に使われなかったけれども印象的な作品も数多く見つけました。なかでも『牛山ホテル』はいまだに上演したいくらい魅力的な作品。当時からKERAさんに猛プッシュしていたのですが、いまでも『いつか上演したいね』ってふたりで話しているんです」
 
『牛山ホテル』は、天草からベトナムに移住した女性が経営するホテルを舞台にした作品。そこには、ホテルに滞在している人たちと、現地の人や現地で働いている日本人との悲喜こもごもが描かれています。
 
「言葉がすべて九州の方言で語られているし、舞台の外側には日本ではない場所が広がっていると想像できる。牛山ホテルには、演劇の魅力が詰め込まれていますよね」
 
そうやって、あらすじを解説する緒川さんの顔は、自然とほころんでいました。
 

 

心の拠り所となった、写真に収められた風景

ところで今回の取材現場には、一冊の写真集が持ち込まれました。『緒川たまきのまたたび紀行──ブルガリア編』(ロッキング・オン)は99年に刊行された緒川さんの写真集。緒川さん自身が撮影した写真を中心に使いながら、ブルガリアにある「薔薇の谷」を旅した記録が綴られています。
 

 
幼いころから、カメラで風景を記録し続けてきたという緒川さんは、ブルガリアのほかにも、メキシコの旅を記録した写真集も出版しています。これまで撮影してきた写真もまた、貴重なアーカイブといえるでしょう。
 
「そもそも写真に対して意識が向くようになったのは、幼少期に『もっといっぱい撮影しておけばよかった』って後悔したことがきっかけでした。1970年代に販売されていた『ワンテンカメラ』って知っていますか?」 
 
その不思議な名前のカメラは、70年代に登場したフィルムカメラ。110フィルムと呼ばれる規格のフィルムを使い、手のひらサイズの小さなカメラとして一時は大ブームとなりました。それは、緒川さんの写真についての原体験であるとともに「アーカイブ」についてのもうひとつの原体験なのかもしれません。
 
「小学校低学年のころから、このカメラで風景を撮影し、現像に出していました。けど、小学校4年生のとき、別の街に引っ越しをしたことで、わたしとカメラとの付き合いが決定的に変わります。
 
引っ越した先でも、かつて住んでいた街の風景を写した写真を見ていました。すると、なんともいえない寂しさが込み上げてきたんです。『もっと撮っておけばよかった!』って、少女時代のわたしの頭と心はいっぱいになってしまった。
 
いま振り返ると、引っ越しをした後のわたしは、写真の力に頼って、繰り返し繰り返し過去を思い出していた。写真から引き出される記憶こそが、心の拠り所だったんです」
 
写真集に収められた27年前の風景を見つめながら、懐かしそうに思い出話をぽつりぽつりと語る緒川さん。撮影が実質3泊4日の強行スケジュールだったこと、現地で目にした民族衣装が可愛かったこと、猫と触れ合ったこと……。写真というアーカイブは、緒川さんの脳裏に埋まっていたさまざまな記憶を引き出していきました。
 

まるで自分の幽霊を見ているみたい

そんな「記憶の解凍装置としてのアーカイブ」という役割は、演劇作品を収録した映像も同様でしょう。前述のように「EPAD Re LIVE THEATER in Setagaya〜時を越える舞台映像の世界〜」で上映された8Kの定点カメラによる高精細映像は、集まった多くの観客を驚かせるのみならず、出演者である緒川さんにもまた、衝撃を与えました。
 
「上映会は『眠くなっちゃった』の本番と同じ世田谷パブリックシアターで行われ、映し出される俳優も等身大でした。この上映会で8K映像を実際に観て、この映像がこれまでの舞台の映像化とはまったく違う意味を持っていることに気づきました。
 
舞台を映像にする場合、ディレクターによる編集が加わりますよね。俳優としては、自分が映っているけれども、編集者の意思が入る分、どこか自分からは遠い存在に見える。けれども、EPADで収録した8K定点映像には、誰の編集も入っていません。だから、自分の演技を『自分のもの』として見ることができるんです。
 
そのとき、まるで自分の幽霊を見ているような不思議な気持ちに感動すると同時に、もう終わった舞台なのに『いまの反省を活かして、次の上演をがんばろう』っていう気持ちが込み上げてくる(笑)。へその緒がつながっているかと思うほど『自分』を感じましたね」
 

 
「へその緒がつながっている」ほどに、映像の中の自分と地続きに感じられる8K定点映像。『眠くなっちゃった』が、この方式によるはじめての収録だったものの、緒川さんは、今後の8Kでの収録にも意欲を見せています。
 
「作品によって8K定点映像との相性の違いもあるかもしれませんね。『眠くなっちゃった』は、生身の俳優の魅力だけでなく、プロジェクションマッピングなどの大掛かりな演出を駆使した作品でした。だからこそ、定点映像になってもその魅力が損なわれなかったのかもしれません。
 
でも、2026年3月29日から上演がはじまった『サボテンの微笑み』は、個人的で小さな感情の機微や、ささやかな記憶などにフォーカスした静かな作品です。映像をはじめとする派手な演出はなく、俳優の演技だけがつくるとてもシンプルな舞台になると思います。8K映像になったらどうなるのか、もし映像化していただけるならぜひ『眠くなっちゃった』と見比べてみたいですね」
 
テクノロジーの発達は、演劇を取り巻く環境を大きく変えていきます。舞台そのままを再現することは不可能であっても、テクノロジーを駆使すれば、そこに限りなく近づけることができるかもしれない。緒川さんは、8Kの映像を見つめながら、その高精細な映像の背後に「エネルギー」を感じたといいます。
 
じつは、緒川さんがもっとも影響を受けているアーティストのひとりが、フランスの演出家であるフィリップ・ジャンティだそう。演劇ともダンスとも違い、人形と人間の動きが織りなす幽玄な世界観で知られるジャンティ。その舞台を通じて、言葉よりも「肉体」こそが、俳優にとって根源的な道具であることを学んだ緒川さんは、普段、演劇を見に行くときにも、つねに、舞台上にある肉体やそれが生み出すエネルギーに注目していると話します。
 
「そもそも、『今、ここ』で、『生きていること』と『演じていること』が合わさっている状態に立ち会うことが、わたしにとっての演劇の魅力なんです。劇場は、俳優の肉体やスタッフの集中力が生み出すエネルギーを感じられる場所。8K定点による収録と投影であれば、舞台を満たすエネルギーまで後世に伝えられるのではないかと思います」
 

 
(2025年12月取材)
 
取材・執筆:萩原雄太
撮影:Hide Watanabe
編集:須藤翔、玉川玲央奈(株式会社Camp)