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記事:鈴木理映子 舞台写真:Yoshikazu Inoue
舞台芸術を映像で体験する際につきまとう、対象への距離の遠さ、物足りなさ。映像化・商品化をあらかじめ想定し、そのための工夫を凝らされたエンターテインメント作品でもない限り、それらを生の舞台と並ぶ価値を持つ作品として受け止める観客は、残念ながらまだ少ない。そんな課題に音響の面からアプローチするプロジェクトの上映会が3月下旬、東京・日比谷の映画館で行われた。
演目は劇団維新派の『透視図』(2014年)。大規模な野外劇で知られる維新派が、大阪・中之島の川べりの特設劇場で上演した作品だ。今回は、映像はそのまま、劇団に残されていた音源を「ドルビーアトモス」の技術を使って立体音響として設計しなおしたバージョンの冒頭部分が、集まった演劇関係者にお披露目された。
ドルビーアトモスは、サラウンドシステムの進化版で、異なった音を前後左右天地に立体的に振り分け、出力することができる技術だ。上映が始まってまず驚かされたのは、当時現場にいたはずの自分の耳には、聞こえていなかった言葉、声が聞こえること。“ヂャンヂャンオペラ”と名づけられたオリジナルのスタイルにもとづく維新派作品では、台詞は短いセンテンスや単語が複数のパートに分かれ、変拍子で、時には同時多発的に発せられる。別の声にかき消されたり、風に流されたり、あるいは自分の耳が捉えた単語にふと気をとられ聞き逃したりもしたのだろう。6年半の時を経て聞く言葉は、その一声ひと声がクリアで、新鮮だった。内橋和久による音楽・演奏もしかり。弦楽器・ダクソフォンの響きは、空気の震えがそのまま鼓膜に届いてくるよう。小さく脈打つように聴こえる電子音は、大都市・大阪に息づく、無数の人々の暮らしの息づかいを想像させた。また、客席の上空を飛行機が飛び去る場面では、背後から頭上、前方へと見事に音が移動、この立体音響技術の真骨頂を発揮していた。
もちろん、今回のような試みが、実際に客席で味わう臨場感のすべてを再現するわけではない。上演された場所の気温や匂いといった特有の条件はもちろんだが、音についても、それが粒立って聴こえてくればくるほど、現地で川風に吹かれながら聞いたそれとは異なる、やや整いすぎた印象も持った。中之島の舞台を駆け抜けていく風の音、ささやかだが聞こえる水の音、会場の外を走る車の音といったノイズを追体験することは、この作品に限っては叶わなかった。とはいえ、今回のプロジェクトでミックスを担当し、維新派の音響スタッフでもあった田鹿充さんによれば、その主な原因は、当時録音されたデータに環境音が含まれなかったことにあるそうで、裏を返せば、上演時のプラン、マイクのセッティング次第で、より没入感を感じられる音響設計が可能になるとのこと。こうした具体的な示唆が、上映後の質疑応答で関係者に共有されたのも、この日の収穫だったかもしれない。
観客と同じ空間で、同じ時を過ごすことを前提とした舞台芸術の記録、パッケージ化、配信はこれまで、あくまでも二次的な鑑賞の手段とされてきた。そのため一部の人気コンテンツでは撮影から編集、音に至るまで、さまざまな技術を投入し工夫が凝らされる一方で、舞台芸術界全体が、映像づくりやそのクォリティに関心を向けることは、これまであまりなかったように思う。だが、コロナ禍で、劇場で直接パフォーマンスを目にする機会が減り、映像化や配信が一気に身近になるなか、EPADやそれに伴う今回の取り組みは、一つの転換点にもなるはずだ。
今回の上映会は対応機器の揃った映画館で行われたが、近年では専用の家庭用スピーカーのほか、一部のテレビモニター、さらにはスマートフォンでも、ドルビーアトモス体験ができるという。コンテンツについても、U-NEXTなどのサービスプロバイダーがすでに対応作品の配信を開始している。近い将来、映像を通し生の観劇に肉薄する体験がいっそう身近になるのなら、舞台芸術のクリエーションもアーカイブへの取り組みも、これまでとは大きく変わらざるを得ないだろう。その試行錯誤や発展を、今から楽しみにしている。