【前編】EPADパートナーインタビュー:岡室美奈子(早稲田大学文化構想学部教授・文化推進部参与)

現代演劇、テレビドラマの研究者であり、23年4月まで早稲田大学演劇博物館の館長をつとめた岡室美奈子氏の、舞台芸術のデジタルアーカイブの現状と課題、可能性をテーマにした連続インタビューをお届けする。
(取材・文:北原美那 撮影:土屋貴章)
 

 
岡室氏が2013年から10年間館長をつとめた早稲田大学演劇博物館は1928年に開館。「エンパク」の名で親しまれ、日本のみならず世界各地の演劇・映像の貴重な資料を収集するアジア唯一の総合的博物館だ。EPADの発足初年度から連携し、2021年にはジャパン・デジタル・シアター・アーカイブズ(JDTA)を立ち上げた。
前半では、演劇博物館の取り組みを中心に、アーカイブとデジタルアーカイブの関係性、舞台芸術におけるデジタルアーカイブの意義や課題についてうかがった。
 

研究と現場、観客を繋ぐ”ハブ”としての演博

――演博のデジタルアーカイブに対する取り組みは1989年からスタートし、1995年にはウェブサイトを立ち上げ、2001年には館内資料のデータベースであるデジタル・アーカイブ・コレクションを公開しています。こうしたデジタルアーカイブに対する先見的な取り組みはなぜ可能となったのでしょうか。
 
「演博のデジタル・アーカイブ・コレクションはWikipediaの開設と同じ年に公開された」とよく説明していますが、館内のデジタルアーカイブに関する関心は世間に先駆けて共有されていました。1988年から五代目館長をつとめた鳥越文蔵先生が、「資料は公開しないと意味がない」と、それまでの限られた人がアクセスできる状態から大きく方向転換された影響が大きかったと思います。その頃の助手だった、現在の演博の副館長の和田修先生や現在は立命館にいらっしゃる赤間亮先生は今で言うIT関係にたいへん強い方々で、演劇博物館大改革の方針と人材がうまく適合して「電子博物館」を目指すことができたんだと思います。
 
この10年間でも、私が館長になる直前にデジタルアーカイブ学会の設立に向けて尽力している方々のコミュニティに引き入れられたことや、デジタルアーカイブの知識とスキルを持った土屋紳一さんと中西智範さんが演博に続けて来てくださったことで、相当デジタルアーカイブの整理と活用が進んだと思います。ちょうど早稲田大学が文化資源データベースという学内の統一的データベースを作るところでもあり、演博がデジタルアーカイブを盛り上げ、舞台芸術界全体に広げることができればというのは自覚的に考えていました。
 
――在職中、博物館のほうではどんな展示を行っていましたか。
 
それまで演博の展示は、学術的にはとても優れたものだけど、専門的すぎて興味のない人にはなかなか来にくいものが多かったんです。大学内にある博物館として、演劇ファンの方々だけでなく、学生に気軽に来てもらえる方法はかなり考えました。「ドアノブを回して入る時点でハードルが高い」という学生の声を聞き、ドアが常に閉ざされて中に何があるかわからない状態からガラスの自動ドアに改装したり、展示内容も、古典的な展示であっても何か現代に通じる入口を作るようにしていました。例えば落語展であれば、メインになるのは古典落語でも、担当者が「落語とメディア」というテーマを考えてくれて、漫画『昭和元禄落語心中』関連を扱い、柳屋小三治師匠、柳家喬太郎師匠に加えて声優の関智一さんにもイベントに来ていただいたり、私が企画した2017年の「テレビの見る夢 − 大テレビドラマ博覧会」では、脚本家の坂元裕二さんと映画監督の是枝裕和さん、脚本家の野木亜紀子さんとドラマプロデューサーの磯山晶さんでトークを行い、尾野真千子さんにもイベントに出ていただきました。こちらはおそらく館長時代に一番よくお客さんが来た展示となりました。
 
常に意識していたのは、演劇博物館は研究の場と実作の現場とお客様を繋ぐハブのような場所だということでした。演劇人口が減り、観客も減っているなかで、ファンだけを相手にしていると先細っていく危機感もあり、演劇の裾野を広げるために何か貢献しないといけないと考えていました。展示の内容だけでなく広報にも力を入れましたね。
 
建物の前舞台を使った屋外劇としては、2014年のベケット展でアイルランドの劇団Company SJ and Barabbasに公演していただきました。初日がすごい豪雨で、皆さんに雨合羽を配って公演したんですが、祈るようなシーンでちょうどチャイムが鳴って、すごく感動的な舞台になりました。舞台は学生さんも使ってくれています。
 
――100年近い歴史を持つ博物館にデジタルアーカイブの概念が入ってきたことで、変化したことはなんでしょうか。
 
もちろん博物館なのでアーカイブそのものは生命線ですが、これまでは「他にないものをいかに持ってるか」が重要でした。「このアーカイブは唯一無二のものである。だからこそ価値が高い」という考え方です。もちろん演劇関係はそうでもないところもあって、人が簡単に捨ててしまうようなチラシやチケットも重要な資料なんですが、基本的にはやはり他にないものを保存することで価値を高めるところがあります。
デジタルアーカイブは逆だと思うんです。いかにデータを共有して開いていくかがとても重要です。ですから、博物館としての思想や機能が根本的に違うんだと思います。
演博であれば、例えば国立国会図書館がシステムを運用するジャパンサーチやEPADとの連携など、デジタルアーカイブ化によって博物館が開かれたものになり、他と連携する可能性を拓いたと思います。
今後考えるべき点としては、最初からデジタルの資料をどうするかということですね。これまでのデジタルアーカイブは、実物があり、その画像を保存して公開するものでしたが、例えば舞台美術の資料や映像など、ボーンデジタルのものを今後どんなふうに保存・公開・活用していくかは、新しいノウハウが必要だと思います。
 
――2021年にはJDTAが公開されました。現代演劇・舞踊・伝統芸能の三分野にわたる情報検索サイトであり、EPADが収集した舞台芸術のアーカイブ映像を、ウェブ上から予約して演劇博物館のブースで観ることができます。トップの「キーワードから探す」機能やランダムで配置される公演画像から、知りたい情報を探すだけでなく、直感的に気になったものにもアクセスできる仕様になっています。
 
「Japan Digital Theatre Archives」

 
デザインをお願いした日本デザインセンターさんと話す中で「偶然の出会いを大事にしたい」というテーマが出てきました。演劇ファン以外の人でも、パッと切り替わるものを適当にクリックして「こんなのあるんだ」と思ってくれたら、とトップ画面をデザインしてくださった。システム構築を担ったベクターデザインさんも含め、コロナ禍真っ只中かつ短期間で作らねばならず緊張感を持った制作でしたが、妥協のないものを作ることができました。
 
ブースの予約は毎日入っていて稼働率は高いです。杉村春子主演の「女の一生」(1961年公演)のような歴史的な作品も観られていますが、よく観られている映像はいま人気の劇団の過去作だったりします。研究者からファンの方まで幅広く利用されている印象です。
 

アーカイブへの意識を高め、繋がりを構築する

――2022年にはアートマネジメント人材の育成事業であるドーナツ・プロジェクトが発足しました。舞台芸術のデジタル・アーカイブの構築や利活用について、全12回の連続講座を通じて学ぶことができるものです。
(早稲田大学演劇博物館 ドーナツ・プロジェクト:https://w3.waseda.jp/prj-archivemodel/
 
JDTAを作っていく過程で、業界内のアーカイブに対する理解がまだ足りていないという話を聞きました。舞台芸術界に専門のアーキビストがいないという問題意識は館内でも共有されていて、業界全体としてアーカイブに対する意識を高め、アーカイブを担える人材を育てる必要性を感じました。その頃ちょうど文化庁でアートマネジメント人材育成事業を対象とした「大学における文化芸術推進事業」が募集されていたので、応募し採択されました。
 
アーカイブ業務にはさまざまな権利の壁が立ちはだかるので、権利処理や契約に関する福井健策先生、田島祐規先生の講義はたいへん好評ですし、木ノ下歌舞伎の木ノ下裕一さんや範宙遊泳の坂本ももさんなど、現場で実践している方々のお話を聞けたのもよかったと思います。
講座は対面受講とアーカイブ受講がありますが、受講生は本当に熱心かつバラエティーに富んでいますね。講座を始める前は舞台制作のかたが多いと想定していましたが、学生さんもいれば、俳優さんもいたり、あるいは映像や劇場などですでにアーカイブに携わっている方も来ています。さまざまな場所で「アーカイブ業務を一応やってるけれど実はよく知らない」という方は多いと思うんです。そういう方たちの横の繋がりができるのも実は大きなメリットかと思います。
 
初年度に、アメリカの演劇分野の具体的なアーカイブ手引書「演劇の遺産を守るーー劇団・劇場のためのアーカイビングマニュアル」を翻訳し、今年度はより日本の舞台芸術の実情に則した「舞台芸術に携わる人のためのアーカイブガイドブック」と、よりシンプルな「ファーストステップガイド」を作りました。まだ公開したばかりなので、いろんなご意見をいただきながら、多くの方が自律的にアーカイブ活動できるよう、今後どんどん改訂して使いやすくしていければと思ってます。
 
――すでにアーカイブ業務に携わっている方も受講されているということですが、アーカイブに対する業界全体の意識がだんだん高まってきていると言えるのでしょうか。
 
いえ、まだ舞台芸術界全体でアーカイブに対する意識は高いとは言えません。とにかく「アーカイブ」と名前がつくとイベントに人が来ないんです(笑)。どうすればハードルを下げられるかも考えないといけません。
個々の団体に伝えたいのは、まずは「捨てないで」ということですね。何が将来的に重要になるかわかりません。「ファーストステップガイド」でも、クリエイション、セルフアピール、マネタイズという三つのポイントを挙げていますが、活動のアーカイブを残しておくと、次の創作に生かす、助成金獲得のためのアピールの材料にする、映像配信での収益に繋げる、などいろいろ役に立ちます。
ただ、アーカイブを作るのは本当に大変です。どこもそんなに人員を割けるわけじゃなく、ひとり意識の高い人が一生懸命やるというケースが多い。ドーナツ・プロジェクトを通じて、担当者が励まし合いノウハウを共有できるような繋がりを作る助けができればといいなとも思っています。
 

 

アーカイブを維持していくために

――そのように個々の劇団や劇場、大学機関やEPADなど、母体の異なる個々の団体が自分たちのデジタルアーカイブを持つ状態になったとき、それ同士はどういう関係であることが望ましいのでしょうか。
 
デジタルアーカイブは横と繋がりやすいですよね。業界内だけでなく、例えば舞台衣装のデータベースがファッション業界と繋がるとか、別のコミュニティと繋がる可能性が出てきます。
ただ、個々のアーカイブは維持するのがたいへんです。団体が解散することもありますし、「デジタル化しておけば永久に保存できる」と思われがちですが、例えばJDTAも保守費用は毎年発生しますし、ある程度時間が経つとデータ移行(マイグレーション)も必要になる。DVDの耐用年数もあるし、ハードディスクに入れるならデータ変換しないといけない。常にデジタルに知識やスキルのある人材がいるとも限りません。お金と人手は継続的に必要なんですが、そこがデジタルアーカイブの専門家のいない機関では忘れ去られる可能性もあります。行政などの助成金でアーカイブを作っても、維持費は出ないことが多く、「あとは自走してね」と言われたりもしますが、アーカイブだけで自走できる利益を出すことはなかなか難しいのではないでしょうか。
 
劇団や劇場など、さまざまな機関や団体が作ったアーカイブが散逸しないために、演博のような機関があるのだと思います。EPADさんが、全国に死蔵されているVHSなども含めて舞台映像を収集するスキームを立ててくださったのは本当に価値のあることでした。せっかくデジタルデータとして持っていても、それが死滅しないように、引き続きアーカイブへの意識を高めていくことが大事だと思います。
 
〈インタビュー後編はこちら