Report
2024.12.11

【トークレポート】舞台芸術のデジタルアーカイブが未来につなぐ可能性|EPAD Re LIVE THEATER in Tokyo 〜時を越える舞台映像の世界〜(ミニシアター・鑑賞ブース)

2024年9月19日(木)〜29日(日)、東京芸術劇場アトリエイーストにて「EPAD Re LIVE THEATER in Tokyo 〜時を越える舞台映像の世界〜」が開催された。
「名作とともに時代を振り返る、未来を想像する」をテーマに、ミニシアターと鑑賞ブースを展開。ミニシアターではEPADに収蔵されている作品群の中から80年代前後の岸田國士戯曲賞受賞作9作品を上映した。
 
本イベントでは関連企画としてトークイベントを開催。
9月22日に行われた、木ノ下裕一(木ノ下歌舞伎主宰)、新里直之(京都芸術大学舞台芸術研究センター研究職員)登壇の『舞台芸術のデジタルアーカイブが未来につなぐ可能性』(司会:坂田厚子(EPAD事務局))をレポートする。
(取材・文 北原美那)
 

想像を広げる翼としてのアーカイブ

「アーカイブが伝える時間」という視点を提示した新里。この日ミニシアターにて『野獣降臨』『小町風伝』を鑑賞し、対照的な二作品を通じて、言葉や身体のありかたをあらためて見つめ直す機会になったと語る。作品の戯曲やドラマをベースにした鑑賞の仕方とは異なり、「上演中にどういう時間が生まれていたのか」と「時間」をベースに作品を見直し、強く刺激を受けたという。
ミニシアターとともに会場で展開された現代演劇史年表や岸田賞選評にも言及。「個々の作品だけでなく現代演劇の流れを意識しながら作品にふれることが可能になる」と相乗効果を挙げた。新劇初の常設劇場である築地小劇場創立100年にも触れ、「今回上映されたのは後半の50年ほどを振り返るひとつのきっかけ。それを〝未来に折り返していく〟時間のことをよぎらせながら観た」と語った。
 

新里直之

 
古典を現代的な表現でレクリエーションしている劇団木ノ下歌舞伎。主宰の木ノ下は、作品制作にあたってアーカイブに恩恵を受けていると語る。「古典をわかりやすくポップに」と評されることもある、せりふの現代語訳や洋服を用いた衣装は、演目の初演当時の観客の衝撃を現代に擬似体験させるための試み。初演当時の衝撃を知り、具現化していくためには「アーカイブだけが頼り」だという。
 
映像も写真もない江戸時代。そのなかで頼りになるアーカイブの一番の例として木ノ下は台本を挙げる。本トークの時期に上演していた『三人吉三廓初買』の底本は、作者の河竹黙阿弥が晩年に新聞連載していたもの。掲載時に本人が校正しているため、一番初演に近いと考えられている。
上演する俳優や年代によっても台本が変わるため、歌舞伎にはたくさんの異本が残っているという。「異本にはその演目の受容史が含まれている。参照先はたくさんあったほうがいいので、アーカイブはどんな紙切れ、メモ用紙でも、あったほうが断然いいんです」と実感をこめた。
その他『三人吉三廓初買』の資料として使用している「合巻」(絵とあらすじ、セリフが書いてある読み物)や、属性がペンネーム的に用いられた書き手による「役者評判記」を紹介。役者評判記の主観をまじえた匿名劇評が、意外にもアーカイブとしては力を持っていると語り、アーカイブを「想像を広げていくときの翼のような役割。使いようでいろんな世界を開いてくれる」と表現した。
 

木ノ下裕一

 
それを受け新里は「底本の読みかたに加えて、作品が立ち上がった背景のとらえかたに、アーカイブの目利きとしての木ノ下さんが感じられる」と感嘆。今回で三度目の上演について、2014年初演からの変化を木ノ下にたずねた。
木ノ下は、「安心感とイメージの固定化にあらがい、作品が息を吹き返すため、いままで読んでいなかったものを読んで〝ぬか床をかきまわす〟ことが必要」と語り、先に挙げた合巻を今回新たに加わった資料として挙げた。
また作品ごとに刊行する『木ノ下歌舞伎叢書』についても、100以上の注釈をつけた上演台本、演出家との3回の対談、舞台写真、劇評などが収録され、初演時のアーカイブとして役に立っているといい、「自分で自分のアーカイブを残すのは非常に良い」と利点を挙げた。
 

閉じたアーカイブ、ひらかれたアーカイブ

『木ノ下歌舞伎叢書』の参考にしたアーティスト自身によるアーカイブとして、木ノ下は転形劇場の雑誌『転形』創刊0号(1985年)を挙げる。吉本隆明や伊藤比呂美、高野文子など演劇人以外の多彩な寄稿者をはじめ、演劇への強度の高い思想を持ちながら多様な考えを取り入れる太田自身の、演劇への信頼とビジョンが可視化されている、と称賛した。
 
太田省吾研究を専門とする新里は、創作プロセスや外部との交流といった作品以外の部分は後世に残りづらいと指摘。同時代にどういう輪が生まれ、動きがあったのかも含めた、作品アーカイブとまた違う視点での演劇活動の記録として『木ノ下歌舞伎叢書』や『転形』の持つ「広場」としての機能を評価した。
 

 
「広場」というキーワードをきっかけに、木ノ下は新里へ「僕らのようにアーカイブを必要とする専門職だけでなく、一般のかたもアーカイブをどう楽しんでいけるか」とたずねる。
新里は「アーカイブを介さなければ舞台芸術に接することが難しい人々へのアプローチの手段」として、アーカイブのアクセシビリティへの貢献を挙げる。また今回のようなトークをはじめ、コミュニケーションを促進するきっかけとして「アーカイブがどういう言葉、語らいを生み出すのか」考えることが大事になると語った。
 
アクセシビリティについて木ノ下も、音声ガイドや字幕により、今まで届けることが難しかった観客にも届けられる、と経験を語る。また情報保障の副産物として、字幕は実際の上演で話されたせりふを起こした「完璧な上演台本」に、音声ガイドの原稿は「演出への注釈」となり、アーカイブに還元されると指摘。アーカイブがアクセシビリティをひらき、アクセシビリティがアーカイブに還元していく循環について、「アーカイブは〝蔵の中に大事な宝物をおさめる〟閉じたイメージだけど、実はどんどんひらいていく可能性を持ったものだと思う」と語った。
 
新里は、アクセシビリティの要は「他者との距離を意識すること」だと語り、木ノ下の発言に、「自分と異質な他者とどういう架け橋をつくっていくか、という発想において、アクセシビリティとアーカイブは繋がっている」と共通性を見出した。
 

画面に映らないものを見るために

研究と創作に基づいた充実したトークが交わされるなかで、アーカイブを取り扱う際の注意点についても話は及ぶ。
木ノ下は、古い作品も新しい作品も目の前に並ぶアーカイブが、文脈と切り離されて受容されることへの注意をうながす。現代での差別表現なども、時代性を考えながら捉えていくことが必要であり、歴史と切り離して見られることに注意深くあるべきだと指摘した。
また「演劇はやはり生に勝るものはない」と実感をこめ、映像と本物を同一視しないリテラシーを問われる、とも述べた。
 

 
新里は、アーカイブ映像を通じて「画面には映っていないが想像力を刺激する気配」を感じたという。80年代上演当時の収録映像で、画質は決して高くないが観客の想像力を刺激するアーカイブの力を受けとめて、リテラシーを磨きながらどのように自分と関係づけていくのかが大事だと語った。
「アーカイブは見えるものに注目しがちだが、映っていないものを想像するのが大事。むしろ見えないものを見るためにアーカイブがある」という木ノ下の発言を受け、新里は「記録できないことの記録」と言い換えた。
 
最後に今後に期待することを聞かれたふたり。木ノ下は、「アーカイブはひとりで観ることが多いが、今回のように集まって、みんなで見る機会があったら楽しいと思う。軽食しながら感想を聞いたり、新里さんみたいな人がいて補足してくれたり」と、複数人でシェアする楽しみにもとづく、アーカイブの活用アイデアを挙げた。
 

 
新里は、「今後もテクノロジーの発展に伴い、映像や音をすべて残すための最適手段が優先されるとは思うが、あえて音にこだわった記録をするなど、オルタナティブな記録の方法についてもEPADの試みに期待する」と、記録そのものの問い直しの可能性について言及。
これに対し坂田は、サラウンド収録により舞台上だけでなく空間の音を残そうとするEPADのトライアルを紹介。
木ノ下は、『勧進帳』のもっとも古い収録映像(1943年)に、観客席の赤ちゃんの泣き声が入っているというエピソードを紹介。現在より寛容にも思える客席の空気感に触れ、そうした記録が残していくものについて語った。