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2024.12.13

【トークレポート】舞台映像が公開できない!〜原盤権・シンクロ権に関するレクチャー&シンポジウム|EPAD Re LIVE THEATER in Tokyo 〜時を越える舞台映像の世界〜(ミニシアター・鑑賞ブース)

2024年9月19日(木)〜29日(日)、東京芸術劇場アトリエイーストにて「EPAD Re LIVE THEATER in Tokyo 〜時を越える舞台映像の世界〜」が開催された。
「名作とともに時代を振り返る、未来を想像する」をテーマに、ミニシアターと鑑賞ブースを展開。ミニシアターではEPADに収蔵されている作品群の中から80年代前後の岸田國士戯曲賞受賞作9作品を上映した。
 
本イベントでは関連企画としてトークイベントを複数開催。
イベント最終日となる9月29日には、シンポジウム『舞台映像が公開できない!〜原盤権・シンクロ権に関するレクチャー&シンポジウム』が行われた。
福井健策EPAD代表理事による、舞台作品の映像化で発生する権利処理に関する公開レクチャーと共に、篠田麻鼓(株式会社ホリプロ執行役員、公演事業本部長)、城田晴栄(音楽出版社ループホール代表取締役)と現場で活躍するゲストを招き議論をおこなった。
この模様をレポートする。
(取材・文 北原美那 撮影 サギサカユウマ)
 

福井健策

 

権利関係の整理

福井によるレクチャーは、舞台作品の利用類型と各権利との関係の整理からスタート。縦列に各権利、横列に利用類型が並ぶ一覧表が提示される。
 

 
「かたまりで見ている間は権利処理は見えてきません。かならず分解してください。映像にはさまざまなものが映り込んでいて、それぞれが独立した著作物です」と福井の語るとおり、脚本や原作小説、音楽、美術など、舞台上にはさまざまな著作物があり、それぞれに著作権が発生する。
さらに、俳優やダンサー、演奏家など実演家は「著作隣接権」を有し、使用音源は、著作隣接権のひとつである「原盤権」を有している。
 
舞台作品の複製や上演、オンライン公開など、さまざまな利用に対して、それらの権利者へ利用料支払いや使用許諾といった権利処理が必要となる。例外も説明しつつ、福井は「ひとつの舞台作品に10〜20人の権利者が発生することが普通」と語った。
 
続いて、音楽産業の権利関係について解説。
著作権、著作隣接権のもと、作詞・作曲家や実演家、音楽出版社やJASRAC、レコード会社などがどのような関係にあるか整理した。
歌詞・楽曲の著作権はJASRACなど集中管理団体が、実演家の著作隣接権は所属事務所やレコード会社が、音源の原盤権はレコード会社が、おもな窓口となる。
 

 
こうした構造のなかで権利処理を行うなかで、個別交渉などが必要となる、いわゆるハードルについても解説がされていく。
 
劇中の外国曲の使用については各国の集中管理団体と相互管理契約を結ぶJASRACが窓口となるが、反対に日本の楽曲でも、海外で使用したい場合はその国の集中管理団体が窓口となり、仮に世界配信したい場合、配信する各国の集中管理団体に申請する必要がある。
 
そして映像と音楽を同期させる際に「シンクロ権」の処理が必要となる。この時、外国曲はその国の音楽出版社など権利者との「指し値交渉」と呼ばれる個別交渉が追加で必要になる。
 
さらに原盤権は各レコード会社の個別管理となるため、複数曲を使用する場合は複数レーベルとの交渉が必要となる。
 
こういった背景をふまえたうえで、舞台上演と映像利用の権利処理について困難さを整理。
まず、権利処理が比較的容易なものとして、シンクロ権や原盤権が及ばない舞台上演、ならびにその記録用収録はあまり問題視されていない。
さらに、それを公開せず保存すること自体は、検索や情報解析のためのアーカイブ化としてなら基本的に可能。
そして非営利の教育機関での授業利用やオンライン講義利用は、著作権法で一定程度はでき、利用料はかかるものの許諾がいらないものとなる。
 
いっぽう困難さが上がるものとして、映像配信は、前述した外国曲のシンクロ処理、原盤権の処理が必要となる。
また映像上映の場合、上映事業のための収録について複製許可が必要となり、さらに曲によって著作権のシンクロ処理、原盤権の処理が必要となる。
配信や上映など、権利者との交渉がより複数かつ個別交渉が必要な利用ほど、困難度は上がっていくということになる。
 

現場の現状

権利関係の整理、利用の種類による必要な処理の違いを確認したところで、舞台映像の配信・上映において現場で起こる様々な困難を紹介。
そもそもの原盤権者の特定の困難や、申請側と権利者側での重要度に由来する速度感の違い、高額な使用料など、様々な理由で処理が難しいことも多く、福井は「いわゆる〝お蔵入り〟の主たる原因はおそらく音楽の権利処理が困難なこと」と語る。
EPADでも映像配信利用のための権利処理サポートを行うが、複数使用されている楽曲のなかで「この一曲だけが権利処理がクリアできない」と断念した経験も多いという。
またYouTube音源などの利用で権利者不明音源の問題も深刻化している。
 
こうした現状を踏まえ舞台芸術の現場では、主に若手による、AI楽曲も含めたフリー音源の使用や、大手・中堅による、将来の上映・配信を見込んだマルチユース契約、原盤権の問題をクリアするため楽曲のライブ演奏や事前収録など、制作の段階でさまざまな変化が起きている。
福井はこうした傾向は不可避かつある意味良いこととしつつ、「音楽はひとの集合意識と深く結びつくもの。日本の舞台芸術は既存の楽曲と自由自在にコラボすることで、そうした集合意識と切り結んできた。既存の楽曲を自由に使うことがなくなると舞台芸術は大きく変わる」と、舞台芸術自体の変質について言及。今後は、映像利用を考えず自由に既存音楽を使うか、映像利用を念頭に適法処理を行える音楽を使用するかの分極化が進むと予想した。
また、ダークアーカイブ化する過去の舞台映像のゆくえや、クリエイター・スタッフの理解の促進など、さまざまな課題を挙げた。
 

シンポジウム

ここからは、公演を制作する立場の篠田、音楽出版社として権利者の立場ともなる城田もまじえ、実例を含めた現場の声、現状の課題が語られていく。
 
篠田は、実際に権利処理の問題で映像公開を断念せざるを得なかったケースを紹介。先にも挙げられた、海外楽曲の複数使用による原盤権者の特定の困難さや、使用される楽曲のアーティスト許可の難しさなど、断念に至った複数の理由を解説し、「権利処理のできない楽曲を差し替えるにも、例えばミュージカルとストレートプレイでは収録の形式が異なり、曲だけの差し替え自体が困難な場合もある」と、舞台の種類によっても対応が変わることを示した。
さらに「時間との戦い」として、交渉の時間が足りず、上演と映像上映の許諾が別のタイミングになったケースも紹介。稽古期間のなかで、使用楽曲が決まるのは通常かなり後の段階となるため、幕が上がるまでの時間的猶予の問題もあると語った。
 

篠田麻鼓

 
城田は、音楽出版社として楽曲の権利を預かる立場から、申請されて困ることをたずねられ、篠田も例に挙げた「替え歌」、作中での歌詞の改変を挙げる。作詞家は詞のなかに意味をこめているため許諾が得られないケースも多いという。「基本的に楽曲を使ってもらうのが嫌ということはないので、事前に言ってくれれば、作家との間に入りながら可能な限り協力したい」と語り、事後承諾ではなく事前段階でのコミュニケーションの重要さも訴えた。
 

城田晴栄

 
福井は、替え歌やパロディの問題について「本来は上演の場合もその問題はあるが、劇場の中には日常と異なる時間が流れているため顕在化しなかった。これが映像として永続的に残すとなると責任問題にもなりやすく、問題が大きくなる」とコメント。
さらに時間の問題について「初日が迫る時期に殺気立ってる演出家に「差し替えが、原盤権が……」と話すのも大変」と制作側の苦慮に理解を示した。
 
いずれのケースにおいても、クリエイターや制作側の知識が必須と考えられ、著作権や契約の関係について専門教育の手前での教育の必要がある、と語った。
 
さらに篠田から、映画やテレビドラマの世界でも同様のことがあるのか、と問われた福井は、「舞台、ダンスほど奔放なものはない。映画ドラマは基本的に抑制的」と回答。城田は、「放送ではなく録音・録画の際に複雑な権利処理が必要になる。いま舞台も配信や映像化が前提になってきたことで、はじめてこの問題に向き合ったのでは」と指摘し、これに福井は「確かにテレビ放送の配信における権利処理も同じ問題につまずいている」と、舞台芸術とテレビ放送の類似性を認めた。
 
その後、権利処理の困難さの解消に対する、一括集中管理団体の立ち上げや、権利知識の必修化と継続的研修の必要性などのアイデアもあがった。
会場からは、テレビの見逃し配信と権利処理の関係、海外上演にあたる許諾申請の主体、動画投稿サイトでの切り抜き動画の権利処理など、さまざまな質問がおこなわれた。
 
会場は立ち見が出るほどの盛況ぶりで、舞台映像の公開とそれに伴う権利処理への関心の高さがうかがえた。海外上演や配信など、日本の舞台芸術の海外輸出への意識が高まるなか、より重要となっていく権利処理の現状、現場の奮闘、今後の課題が明らかとなるシンポジウムとなった。