レポート:「舞台芸術デジタルアーカイブの未来」 〜高音質・高画質は魔法の杖となるか?〜アートキャラバン 8K・空間オーディオ収録舞台の上映+座談会
文:野口理恵 写真:菊池友理
EPADは2021年度アートキャラバン「日本の演劇」未来プロジェクトの収録・アーカイブ、国際交流基金 STAGEBEYONDBORDERSにおける多言語字幕つき配信を協働。2022年1月21日(金)に、寺田倉庫G1-5Fで、高音質(Dolby Atmos®)・高画質(8K)で収録した舞台映像を上映し、活用方法や普及の可能性について話し合う座談会を開催した。
高音質・高画質を体験
「8K」とは4Kの4倍、2Kの16倍緻密な表現ができる超高画質の映像規格。2014年に4Kの試験放送が始まり、2021年の東京オリンピックのいくつかの競技で8K放送が中継された。一方、立体音響のDolby Atmos®は空間に立体的に音を配置する進化したサラウンドシステム。近年は映画館だけでなく、アップルミュージックでの配信が始まり、身近なデバイスでも楽しめるようになってきた。
今回はアストロデザインの275インチの8K大型スクリーンと、ポニーキャニオンエンタープライズによるDolby Atmos®の立体音響という環境で、生オケミュージカル、ストレートプレイ、ミュージカルという3種の作品を8K+ Dolby Atmos®で国内で初上映された(EPAD調べ)。
上映作品は「モーツアルト!」(東宝)、「ムサシ」(ホリプロ)、「ミュージカル『テニスの王子様』4thシーズン 青学vs不動峰」(ネルケプランニング)の3作品で、圧倒的な臨場感を感じられるドルビーアトモス の立体音響、まるで劇場に足を運んだかのような錯覚に陥るクリアな8K映像を多くの人が体験した。
上映後の座談会は「舞台芸術デジタルアーカイブの未来〜8K・空間オーディオ収録から権利処理〜」というテーマで、衆議院議員で文化芸術振興議員連盟事務局次長を務める浮島智子が開催の挨拶をし、文化庁次長の杉浦久弘、株式会社ヴィレッヂ代表取締役会長の細川展裕、弁護士の福井健策、NHK 8K制作事務局長 の金谷美加の4人が登壇。司会はEPAD実行委員会の三好佐智子が務めた。
コロナ禍となり文化芸術に携わる現場の人たちへの支援はどうなるのか。日本の伝統文化芸術をしっかりと継承していくためにはどのようなサポートが必要なのか。演劇映像アーカイブをデジタル資産として未来に継承する意味について、意見交換がされた。
演劇を映像データで保存する意義
座談会冒頭、EPADの実行委員を務める弁護士の福井は8K定点映像を撮影するメリットを次のように語った。
「定点撮影の場合、収録のために潰す席数が少なく、編集コストをカットすることができます。現在できる限りの最高の画質と音質で、編集のない、観客が実際に見たものと近い状態の映像を残すことは、将来のための大きな種です。その瞬間にどんなに素晴らしい舞台でも、映像を残していないと、のちの世代は絶対に観ることができません」(福井)
また、劇団☆新感線のエグゼクティブプロデューサーである細川は、劇団☆新感線の演劇作品を映画館で上映する<ゲキ×シネ>を企画製作している。すでに演劇の映像化を積極的に進めてきた細川は、30年以上前にVHSで演劇作品の保存をしていた経験があるという。
細川は「1991年の第三舞台でVHSのオリジナルパッケージを作り始めていたので、動きは早かったですね。コストカットの話がありましたが、現状、8Kカメラを6台入れたとしたら、その費用はとんでもない金額になります。高解像度の差を見分けられない人間の眼の限界もありますから、使い方の目線を変えていかないと8Kを商業ベースにするにはまだまだ難しそうですね」と、現状の課題を指摘する。
演劇界の権利処理という難題
映画館での公開や、サブスクリプションの動画配信サービスなど、デジタルアーカイブを活用しようとする動きは急スピードで進んでいる。しかしそれらを活用するためには、舞台で使用された音楽著作権・原盤権など、さまざまな権利を整理し収益分配の処理をする必要がある。
弁護士の福井は「演劇作品の権利に関しては課題しかない」と嘆きながらも、「権利処理されなければ、どんなに素晴らしい映像でもお蔵入りするしかない。また、演劇の著作権が一元的に管理されていけば、デジタルで利用しやすくなります。まずは現場が権利関係のスキルを身につけることが大事です」と、演劇業界が抱える問題を取り上げた。
演劇の権利関係に関しては、文化庁より受託された文化芸術収益力強化事業「緊急舞台芸術アーカイブ+デジタルシアター化支援事業」であるEPADが2020年から取り組んでいる。EPADではすでに舞台芸術作品に関する約1280点の映像に対し約280作品で商用配信を可能とする権利処理を完了させた。
文化庁の施策について杉浦は「コロナ禍以前の施策は、日本文化を海外に知ってもらうことと、体が不自由でホールに足を運べない人に文化を体験してもらうこと、さらに著作権の問題をクリアにすること、という3つが軸でした。コロナ禍のいまは、この3つが重なり合うようになってきました。これらの施策を補正予算などの財源で支援し実行していくことで、いままでとは異なる芸術のかたちが生まれるといいなと、思います」と期待を寄せる。
活用のアイデア・教育分野への広がりも
それでは実際に高画質・高音質で収録された映像はどのように活用されていくのだろうか。NHKで8K番組を手がける金谷は「いま可能性を感じているのは教育分野での利活用」だと言う。
「8Kで海外の名門バレエ団の公演を放送していますが、、日本でバレエを習っている若い方が8Kで見ることで、普段見られないバレエシューズの中の足の入れ方などディテールを見ることができ、8Kだからこそ学べることがあると感じました。また、オーストリアのアルスエレクトロニカセンターには市が運営する8Kの大型のシアターがあります。そこで人体の仕組みを映像で流したときに、地元の大学の方が『これはぜひ私たちの大学で使いたい』と仰って、大学に8K上映施設を作ることを検討しているそうです。このように教育機関でも8Kを活用しようという時代になっています」(金谷)
また、福井も「全ての人が潤沢にリアルな舞台芸術を見られるわけではない。例えば、各地の公共ホールやコミュニティシネマで8K映像とサラウンド大迫力の音響で上映したらよいと思います。例えばそこに演出家や俳優が出かけてアフタ—トークをすればイベント性が生まれます」と活用のアイディアを語る。
杉浦は「デジタル化、IT化と言われていますが、それだけで終わらせるのではなく、『どう使うのか』が重要だと思っています。いろいろな方々に見てもらったり、海外に発信したりと、今後さまざまなやり方が出てきます。さらにマネタイズできるのかが次のステージになっています。知恵とパワーが必要ですし、投資も必要です」と語った。
これからの演劇の可能性
細川は「8Kで映像を残す意義は感じますが、私たちは定点ではなく別の角度から切り取ってデータを残すということに注力していて、定点の映像とは果たす役割が違います」と言う。<ゲキ×シネ>は何十台ものカメラワークを駆使して、俳優の汗や涙、目線や細かい仕草など、普段はなかなか見る事ができない舞台ならではの熱をクローズアップしているのが特徴だ。
細川は「日本国民のなかで、演劇に興味がある人は少ない。ですからとにかく好きな俳優を見にきてくれた人に、劇団☆新感線を好きになってもらう。今後、8Kが16Kになり、VRやメタバース、NFTなどが演劇に関わってくると思うのですが、現場でやることはそこまで変わらないと思うんです」と語った。細川は「細川展裕オリジナルNFT」を販売するなど、すでに新しい取り組みに着手しているが、福井はそのNFTに可能性を感じているという。
「NFTは現場は単なるバブルですが、作品を流通させるときの基本ツールとしては残っていくと思います。オリジナル映像でもいいし、音源や画像でもいい。それに対して自分が疑似的な保有者、パトロンであるという満足感を得られるわけです」(福井)
映像体験をきっかけに劇場に足を運んでほしい
最後に福井は、「例えば志ん生の落語を見たくても、映像を残していないために、永久に失われてしまったことになる。1980年以降のテレビ番組は映像が残っていますが、それ以前はほとんどありません。それはとても切ない話です。だからこそいま劇場で観客が見ていたものと近いものがデータとして残れば、将来の新しい活用方法の種になるはずです」と、今回のような演劇を高品質高音質データで残す意義を改めて語った。
コロナ禍や、さまざまな事情で劇場に行けない人でも、劇場の臨場感を味わえる高画質・高音質での映像をきっかけに、演劇に興味をもち、実際に足を運ぶきっかけになってほしい、という想いが、登壇した4人の共通の意見だった。
座談会終了後、本イベントの最後に登壇した寺田倉庫執行役員緒方靖弘は「ユネスコでは2025年をマグネティックテープアラートと名付け、多くの磁気テープに収録されている作品の保存が危機を迎えていくと提唱しています。EPADでは新規の収録だけでなく、VHSなどの古いテープに保存された作品のアーカイブのお手伝いも積極的に行いたいですね」と語り、この回を閉めた。
アートキャラバン 「日本の演劇」未来プロジェクトは文化庁の令和2年度補 正予算公募事業「大規模かつ質の高い文化芸術活動を核としたアートキャラバン事業」で採択され、公益社団法人日本演劇興行協会により主催されました。
企画・製作:EPAD 実行委員会(一般社団法人緊急事態舞台芸術ネットワーク、寺田倉庫株式会社)
主催:「日本の演劇」未来プロジェクト実行委員会(公益社団法人日本演劇興行協会、一般社団法人緊急事態舞台芸術ネットワーク)