Report
2024.01.15

【レポート公開】EPAD×東京芸術祭 2023 ファーム共同企画/石川祥伍「綿子はほどけうる:《綿子はもつれる》の上映がひらく多様な未来」

★EPAD×東京芸術祭 2023 ファーム共同企画とは
東京芸術祭ファームとは東京芸術祭の人材育成と教育普及を目的に2021年にスタートしました。今回、ファームに参加している方々より公募によって協力者を募り、「EPAD Re LIVE THEATER in Tokyo」のレビューやレポートを書いて頂きました。ここではその中よりいくつかご紹介させて頂きます。
 
★「EPAD Re LIVE THEATER in Tokyo~時を越える舞台映像の世界~」概要
https://epad.jp/news/32138/
 

EPAD×東京芸術祭 2023 ファーム共同企画/石川祥伍「綿子はほどけうる:《綿子はもつれる》の上映がひらく多様な未来」

上映作品:た組「綿子はもつれる」

撮影:岡本尚文

 
東京芸術祭 2023のEPAD Re LIVE THEATER in Tokyoの一環として上映された、た組の《綿子はもつれる》では、主人公の綿子が不倫相手の木村との親密な関係を築く中で破綻する悟との夫婦関係が描かれる。《綿子はもつれる》という演劇作品を特徴づけるのは、劇中における時間の進み方だ。戯曲のト書きで、作者の加藤拓也が「舞台上のある空間において、劇中の時間の進行方向は一つ以上存在している」と書くように、この作品には複数の時間が共存しうる。続けて、「縺(ほつ)れてゆくには、ある空間において別々の進行方向を持つものがそれぞれの方向へと進行しなければならない。また、縺れた状態からほどけてゆくには、ほどけるための方向に正しく進行してゆかなければならない。」とあるように、複数の時間はその進行方向によってもつれることもあれば、ほどけることもある。
「綿子はもつれる」という題名に表されるように、舞台上で流れる綿子の時間はもつれる。妻・母としての綿子の時間は悟との離婚にむけて、過去から未来へと進む。他方、不倫相手としての綿子の時間は遡る。作品の最後、綿子が舞台袖で車を運転する傍ら、舞台を二分するカーテンの奥では冒頭のシーンが再現され、綿子が木村を車で轢いたことが判明する。このとき、冒頭のシーンの再現は綿子のフラッシュバックとして描写される。つまり木村との不倫関係において、綿子の時間は過去へと引き戻される。ト書きによれば、綿子の二つの時間が別々の方向に進行することは、綿子の時間がもつれてゆくということだ。
だが、EPAD Re LIVE THEATERでの本作品の上映を鑑賞した私たちは、そう簡単に「綿子はもつれる」と言い切ることができない。本作品の上映にはイマーシブサウンドが導入され、観客は音に包み込まれながら作品を鑑賞できる。会話劇である《綿子はもつれる》では音響が重要な役割を果たす部分は少ないと思われる。しかし会話劇であるがゆえに、舞台を家とホテルの部屋という二つの空間に分けるカーテンが開閉するときに鳴る音は対比的に強調される。その音は火花が散るような破裂音で、その音の大きさからも聞くには愉快とは言えない。その耳障りな音はカーテンという舞台空間を隔てるものを指し示すだけでなく、舞台上の時間を断絶するものとして機能する。綿子は空間的に分けられるだけでなく、聴覚的にも二つの時間に分けられるのだ。
作品の終盤、綿子が木村にもらった指輪を必死に探すとき、カーテンは開かれ、ホテルの部屋だった空間も家の一部になる。今まではカーテンが開くときに鳴っていた、綿子の時間を二分していた破裂音は鳴らず、綿子の二つの時間は一つになる。それは悟によって綿子の不倫が暴露される瞬間だ。そうなると、綿子の時間はもつれることもほどかれることもない。もつれることやほどけることは時間が複数存在するときにしか成立しないからだ。その意味で、綿子の時間が一つになることは、綿子がほどかれる希望をも消してしまうことである。このときに流れるイマーシブな静寂は不愉快な破裂音を聞くことよりも不愉快だ。
現在という時間において上演される舞台芸術が映像として上映されることは、作品を繰り返し鑑賞できる意味でも、作品における時間を解放する意味でも画期的だ。《綿子はもつれる》で、綿子の時間のもつれ、そしてそれがほどけることの不可能性は、絶望的な綿子の未来を指し示す。しかもそれが映像として再生可能であることは、彼女が直面するであろう絶望が反復されることでもある。しかし、再生という言葉が Re LIVE、「再び生きる」という意味をもつのであれば、本作品の映像化は綿子が再生する可能性——たとえそれが比喩的なものだとしても——を示すのではないか。映像として再生できる作品は逆再生もできることからも、作品に流れる時間も逆の方向に進行しうる。綿子(の二つの時間)はほどけうる。過去に上演された作品を映像化することによって、綿子、そして舞台芸術に潜在する多様な未来が浮かび上がってくる。
 
(石川祥伍 | 東京芸術祭 2023 ファームラボ アシスタントライター)