Report
2024.01.16

【レポート公開】EPAD×東京芸術祭 2023 ファーム共同企画/久保田琉奈

★EPAD×東京芸術祭 2023 ファーム共同企画とは
東京芸術祭ファームとは東京芸術祭の人材育成と教育普及を目的に2021年にスタートしました。今回、ファームに参加している方々より公募によって協力者を募り、「EPAD Re LIVE THEATER in Tokyo」のレビューやレポートを書いて頂きました。ここではその中よりいくつかご紹介させて頂きます。
 
★「EPAD Re LIVE THEATER in Tokyo~時を越える舞台映像の世界~」概要
https://epad.jp/news/32138/
 

EPAD×東京芸術祭 2023 ファーム共同企画/久保田琉奈

上映作品:維新派「トワイライト」

撮影:井上嘉和

 
私の故郷である岩手県の山の中を熊よけの鈴を鳴らしながら40分ほど歩き続けると、街で過ごしている時とは全く異なる状態になる。自然には自分が普段暮らしている社会の規則とは異なる、独自の規則で成り立つ生態系があり、自分はそこにお邪魔している、足を踏み入れさせてもらっているという感覚になる。森の音は、聞いているのではなく聴かされているように耳に届く。頭の中の考え事はいつのまにかほぐされ、悩みや難しいことは頭の中からそっとどかされて素直な感覚だけが残る。
そのような状態になることが、私の経験に基づく自然の中を歩くということである。
維新派「トワイライト」からは、自然の中を歩いている感覚を思い起こさせられた。歩くことは足の裏で土地をなぞることでもあり、その行為は舞踊的でもあることをつくづく感じた。
 
「トワイライト」の主人公が物語の中に出てくる山や森や道のある風景を物語っている後ろでは、白塗りの俳優達は同じ身振りを繰り返す規則的な舞踊を行っていた。
その舞踊は、ダンスカンパニーRosasの「Fase」を思い起こさせた。
「Fase」は背丈が近く似た格好をしたダンサーが二人隣り合い、異なるテンポで同じ身振りを繰り返す。ダンサー二人を挟むように真横から照明の光があたり、影が二人の間にある壁に映る。時折、ダンサー同士の影が一瞬重なると、間にもう一人のダンサーがいるかのようなシルエットが浮かび上がる。この一連の流れが不規則に発生するのが「Fase」というパフォーマンスである。
「トワイライト」の舞踊は、「Fase」と同様に俳優が一連の身振りを繰り返し行う。
永遠に続くようなその舞踊を見続けるうち、ある瞬間に身振りが意味を持って見えた。「トワイライト」の舞踏は俳優達に物語の中に存在する山や森や道のある風景を歩かせるためのものなのではないかと感じた。
会場は野外の野球グラウンドであり、土の上で規則的な舞踊を踊ると、身振りの繰り返しによって圧力をかけられ続けた一部の地面がそこだけえぐられていく。また、上演の途中から雨が降り出していたため、えぐられた土が泥になり、俳優達はぬかるみに足を取られないように一層地面を踏みしめているように見えた。それを見続けているうちに、物語の中の世界と俳優の身体がどんどん近づいていき、俳優達は物語の中に存在する山や森や道で遊んでいるように見えてきたのである。
また、雨が降ってきたことで、雨の日の土地が生き生きとしているような臭いが思い出された。土や泥や草の匂いがスクリーンを越えて届いてくるようで、私自身も自然の中を歩いているような感覚になっていた。
 
「トワイライト」の舞踏は妖怪に別の世界に連れて行かれる儀式のようだった。妖怪と儀式、この二つの要素は俳優達の白塗りのイメージから引き起こされ、感じ取ったものだ思う。
登場人物は子供がほとんどだったが、まだ社会的な生き物になりきっていないという子供のイメージと、この世ならざるものという白塗りのイメージが合わさり、結果、登場人物から妖怪のような印象を感じたのだと思う。
また、矛盾するようだが私は白塗りから形式ばった印象を受ける。この感覚は能や歌舞伎の文化に親しんでいる日本で長く暮らしてきたからこそのものなのだろうか。俳優の白塗りが、ミニマルなリズムに俳優の言動が支配されている不自然さと相まって不気味だった。
また、「トワイライト」の戯曲は機械の断面図を見ているような緻密さで、白塗りが維新派のドレスコードであることに納得した。そこからもやはり、不気味さと厳格な形式を感じるのである。