Report
2024.02.12

教育現場での幸福な出会いのためにーー教育利活用への取り組み

(取材・文 北原美那・相澤優太(インタビュー))
 
 
EPADでは、各公演主催団体の所持する公演映像を収集するとともに、新規映像収録を行っている。2020年度の事業開始からアーカイブされた所蔵映像は約2,700本。これらを次世代へつなげるべく、教育への利活用のトライアルが2023年度から始まった。

 
石井路子(芸術文化観光専門職大学)、梅山いつき(近畿大学)、岡室美奈子(早稲田大学)、松山立(日本大学)、横堀応彦(跡見学園女子大学)5名の委員による会議を経て、EPADの所蔵映像から高校生以上を対象とする教育現場で鑑賞したい作品を選んだ。
 
著作権法35条では、教育機関における授業の過程で利用する際に、授業担当者が無許諾で映像を複製等することを、同法38条では非営利目的での上映利用等を認めている。
EPADでは権利者の同意を得ながら、公演映像の教育利用をさらに推進するために、アーカイブ作品と配信可能化作品で、2種の鑑賞方法を提案している。
30作品はEPADから教育現場に授業補助テキスト・映像をつけてハードディスクで貸与する。102作品は、寺田倉庫のデータコンテンツ管理システム「Terra sight」を視聴ブースにて鑑賞でき、また各学内イントラネット内で配信視聴も可能だ。後者は兵庫県豊岡市の芸術文化観光専門職大学にて、初めてトライアル実施される。
 

提供:芸術文化観光専門職大学

 
『COMPASS(コンパス)〜EPADコンテンツを活用するための羅針盤〜』はEPADが作成した授業補助テキスト。ハードディスク貸与作品のうち、8作品についての解説や、教材としての使用プランを掲載した。
 

 

 
 
COMPASS映像版は作品への理解を深め、身近なものにするための、制作者へのインタビューだ。
 

COMPASS〜EPADコンテンツを活用するための羅針盤〜紹介動画
 
この教育利活用は、EPADが課題としてきた、東京外の地域の住民や学生に舞台芸術をもっと身近に感じてもらうというミッションに取り組むもの。
23年12月の京都イベントでのトークセッションで石井委員は、高校教員として実感した、都市と地方との物理的な距離による文化に対する感覚の違いを語った。
東京を中心とした大都市圏に偏重しがちな観劇体験に対し、都市だけでなくどこにいても映像で舞台芸術に触れる効果が期待できる。
 
選定会議に参加し、『COMPASS』ではチェルフィッチュ「『三月の5日間』リクリエーション」と贅沢貧乏「わかろうとはおもっているけど」の2作品について解説を執筆し、山田由梨氏と柴幸男氏へのインタビュー動画の聞き手をつとめた横堀応彦氏、教育利活用を担当するEPADの三好佐智子理事に話を聞いた。
 

地理的・時間的な障壁を越える、EPADの教育利活用

 
――EPADが収集した公演映像が、教育部門の利活用に至った経緯を教えてください。
 
横堀 2022年度に私が事務局長代理をつとめる国際演劇協会日本センターがEPAD2022実行委員会に参画したことをきっかけに、大学などの教育機関における舞台芸術の記録映像の利活用方法について、各大学の先生方を招いたシンポジウムを2022年に開催しました(「撮る、のこす、使う! 舞台公演映像の利活用をめぐるシンポジウム」 主催:EPAD2022実行委員会 企画制作:公益社団法人国際演劇協会日本センター)。その中で話題にあがったのが、演劇の授業における記録映像の利活用に関する課題でした。
 
――具体的には、どのような課題があるのでしょうか。
 
横堀 主に二つ、地理的な障壁と、時間的な障壁です。地理的な障壁は、演劇が生の芸術である以上、公演場所から離れた場所に住む学生が実際の上演を鑑賞しづらいという点。例えば映画であれば、どこにいても作品資料にアクセスできますが、演劇はそれが困難です。2点目の時間的な障壁は、過去の作品を見ることができないこと。特にドイツのようなレパートリー制度のない日本では、一つの作品の公演期間が短く、再演される確率も低いです。優れた作品であっても見逃した場合は、半永久的に鑑賞できなくなってしまいます。
 
――そうした障壁に対し、EPADの収集映像が有効な手段となるわけですね。
 
横堀 EPADの収集映像の多くは、早稲田大学演劇博物館で鑑賞できるようになっています。それも大きな前進なのですが、より多くの場所から視聴できるようにしたいというのが、最初のミッションでした。
 
三好 ミッションに向けた方策を試行錯誤する上で、22年度シンポジウムに参加されていた横堀先生、岡室先生、松山先生、梅山先生に入っていただいて、教育利活用の会議を始動しました。俳優教育や演技において積極的に活動する松山先生、東京から離れた場所で居住・勤務する梅山先生、石井先生など、多様な視点をとり入れたいと考えていました。
 
――教育利活用の会議の中では、どのように話が進められたのでしょうか。
 
三好 まず、Terra sightを活用した映像データの視聴を検討しました。しかし、著作権法上、EPADの配信可能化作品でなければオンライン配信ツールは使うことができません。またその際、上演団体にTerra sight使用の許諾を得る必要があります。EPADには現在、約2,700本の映像が収録されていますが、そのうち配信可能化作品は572本。残りのアーカイブ作品を、どうすれば全国で見られるようにするかが課題でした。まずはアナログな手段ではあるものの、ハードディスクに入れて貸し出すという方法に決まりました。
 
――ハードディスクに収録される作品は、どのように選定されたのでしょうか。
 
横堀 2,700本のリストから私たち5名の委員が選ぶわけですが、実際の教育現場で活用する先生の中には、必ずしも演劇を専門としていない方もいらっしゃいます。何か指標のようなものがあった方が使いやすいのではないかと考え、「人間を知る」「演劇を知る」「社会包摂」という3つのテーマを設けました。演劇を通じて人間や社会に対する理解を深めることを念頭に置いているわけです。その観点から作品を絞り、ハードディスクに収録するのは30作品になりました。
 

さまざまなシーンで、演劇が教材になる可能性

 
――『COMPASS』での作品解説や教材プランの提案、インタビュー動画の作成にあたり、教育の利活用において心掛けた点を教えてください。
 
三好 『COMPASS』やインタビュー動画は、海外の作品解説番組や、教科書の指導書例を元に先生方からご提案いただきました。短い期間の中で先生方にご協力いただき、上演団体にも確認しながら完成させました。
 
横堀 解説テキストにおいては、演劇が専門ではない先生や学生の視点に立ち、「この作品は、このように受け取らなければならない」といった無意識の先入観が生じないように意識しました。作品の捉え方は人それぞれで、作り手は必ずしも一つのメッセージを込めているわけではないことを理解してもらいたかったからです。また、演劇作品自体が、さまざまな文脈で活用されることも目指しました。社会や経済など演劇以外のテーマを学習してもらう際にも演劇というツールを用いてもらいたいと考えています。
 
一方、動画で伝えたかったのは、演劇の作り手には多様な人々がいるということ。例えば演劇を学ぶ大学生は、自分が所属する大学の教育環境やサークルに活動範囲を固定しがちで、なかなか外の人材と交流しない傾向もあります。しかし実際に社会に出て演劇に携わるならば、いろいろな人とつながり、自分が作る作品をしっかりと言語化するスキルも必要になります。演劇界には多様な人々がいることを知ってもらう上で、個々の人柄が現れるインタビュー動画が有効だと考えました。同時に、楽しく演劇を作っている現場の雰囲気も伝わってほしいですね。
 
――横堀先生は『COMPASS』で、チェルフィッチュ「『三月の5日間』リクリエーション」と贅沢貧乏の「わかろうとはおもっているけど」について解説を書かれています。なぜこの作品を選んだのでしょうか。
 
横堀 「『三月の5日間』リクリエーション」については、今日本で演劇をやろうとするならチェルフィッチュは是非知っておいてほしい劇団であり、『三月の5日間』はその代表作だからです。普通イメージされる「演劇」とは一味違う作品なので、「こういう作品もあるんだ」と知ってほしいと考えました。リクリエーション版は2017年に初演されていて、比較的最近に作られた作品だということも理由のひとつでした。
贅沢貧乏の「わかろうとはおもっているけど」は、大学の授業で学生に70分の全編映像を鑑賞してもらったのですが、終わったあと学生に感想や質問を書いてもらったら、リアクションが豊富だったんです。山田さんの問題提起が学生の視点と近かったのでしょう。授業時間の大半を映像鑑賞に費やすことについては様々な議論がありますが、この作品については高画質で編集も良かったので集中して観てもらうことができました。他の教育機関でも、鑑賞後にさまざまな議論が生まれることを期待して選びました。
 
――今後、どのように教育の利活用が進んでいくか。期待する展開をお聞かせください。
 
三好 まずは多様な教育現場で利用していただきたいです。重要なのは、学生に「失敗してもいいんだよ」といった視点で、人生の選択肢を増やしてもらうこと。インタビュー動画を通じて、クリエイターたちがどのような姿勢やコンセプトで活動に打ち込んでいるかに触れれば、「何か変わりたい」「あることに対して戸惑っている」といった学生の背中を押せると考えています。ですので、演劇やダンスに関わる学生以外にも広がってほしいですね。
 
横堀 現代の日本ではチケットの価格も高騰していて、演劇にアクセスすることが、どこか特別なことのような感覚があると思います。しかし大学生のうちから演劇に触れる機会があれば、その人の将来の演劇との関わり方も変わるはず。それは学生にとっても、社会にとってもプラスになります。ぜひ多くの人が演劇に出会うきっかけになってほしいですね。
 
――次のステップ、今後の展望を教えてください。
 
横堀 教育利用については、今年度で作ったものを実際に使ってもらい、どう貢献できているかを知ることで今後に活かしていきたいです。
冒頭で日本の演劇をめぐる地理的・時間的な問題について話しましたが、EPAD事業での多言語字幕つき映像を配信することで、国内だけでなくて海外にも日本の演劇の発信を進めていただくことを期待しています。
 
三好 2024年度も会議を継続し、作品のラインナップも増やしていく予定です。ただ数を増やすだけでなく、学生たちの心を動かす上で適切な作品を選定することも重要になるでしょう。今年度に聞いた「ドキュメンタリーやメイキングを観たい」という学生たちの希望も反映していきたいですし、最新の作品を常にチェックされている横堀先生をはじめ、専門家の皆さまの協力を得ながら、次世代を動かす同時代性、問題提起、作品構造、映像クオリティを吟味し、提供作品の質を高めていきたいです。
 

本年、早稲田大学幻影論ゼミ(岡室美奈子先生) で5回にわたって教材として使用して頂きました。

 
 
※この記事をご覧いただき、EPADの教育利活用にご興味がある方は、EPADポータルサイト・CONTACTよりお問い合わせください。