【レポート公開】EPAD×東京芸術祭 2023 ファーム共同企画/大貫友瑞ーー社会をアーカイブすること・「演劇映像」のこれから
★EPAD×東京芸術祭 2023 ファーム共同企画とは
東京芸術祭ファームとは東京芸術祭の人材育成と教育普及を目的に2021年にスタートしました。今回、ファームに参加している方々より公募によって協力者を募り、「EPAD Re LIVE THEATER in Tokyo」のレビューやレポートを書いて頂きました。ここではその中よりいくつかご紹介させて頂きます。
★「EPAD Re LIVE THEATER in Tokyo~時を越える舞台映像の世界~」概要
https://epad.jp/news/32138/
EPAD×東京芸術祭 2023 ファーム共同企画/大貫友瑞ーー社会をアーカイブすること・「演劇映像」のこれから
上映作品:東京芸術劇場「気づかいルーシー」
。2023年10月11日、8K定点・イマ―シブサウンドを使用したEPAD reLIVE THEATER「気づかいルーシー」のゲネプロに伺いました。劇場の椅子に座り、他の鑑賞者とともに前を見て、暗い舞台の前に垂れ下がった薄いスクリーンの中に移り変わっていく空間を鑑賞しました。後方のボックスには音響などのテクニカルチームが、私たちと同じく前方のスクリーンを見ながら仕事をしていました。生身の身体や美術などによって目の前でフィクションが起こることが当たり前だと思っていた演劇空間で、そこには実在しない現象を観るために人々が集まっているという状況が不思議に感じられました。
。EPADでは、演劇空間で鑑賞すること、鑑賞者が私だけではないこと、定点で撮影することの3つによって、“演劇時空間を演劇時空間で再現し体験すること”が目指されているように感じました。目の前に舞台が存在する点、テクニカルチームや他の鑑賞者とともに舞台の方向を見続けて時間を共有する点、自分の都合によって鑑賞を止めたりできない点が実際の演劇鑑賞を追体験するような体験になっていました。カメラの視点は一度も動かず、ズームもありませんでした。ここには観たい部分を自分で注視して観る、あるいは舞台上で起こっていることのすべてを俯瞰して観るという舞台芸術ならではの体験がありました。
。一方で、EPAD鑑賞の後に感じたのは舞台芸術を劇場で鑑賞するときとの違いでした。今回私が感じたのは、生身の役者の身体や言葉、演出によって場の空気が変化していく感覚というより、過去に存在した演劇空間や、それがもつ時間さえも俯瞰するような感覚でした。カメラが、舞台がギリギリ入る視点よりも少し引きの位置に設定されていたことも関係しているかもしれません。演劇が上演された当時の鑑賞者の反応をスクリーンの中に感じ、その存在に思いを馳せました。舞台芸術には演技者と鑑賞者がいて、それによって毎回異なる空気感が生まれる面白さがあります。私が鑑賞した「気づかいルーシー」には多くの子供が観劇に来ていたようで、私にとって新鮮な間合いでケタケタと笑ったり、ときには舞台に向かって喋りかけたりしていたと記憶しています。2022年にこんな演劇がつくられて、観られていたということ、こんなふうに受け取られていたということを映像で残すことは、社会を観る社会の反応を残すことと捉えられるかもしれません。そこに、記録した作品を上映すること以上の価値がでてくるのではないかと思います。ほかにも、いわば「演劇映像」が、今後演劇から独立した面白さを持つ分野として創作されていく可能性も感じています。「演劇映像」を演劇空間で上映するならば、目の前に舞台があるということを利用して、当時の舞台装置を復活させたりアレンジしたりして、演劇空間固有の「演劇映像」鑑賞体験を生み出してゆくことなどもできそうです。
。EPADには、アーカイブした作品を再現して鑑賞するための媒体としてだけでなく、舞台芸術と社会の関わりそのものを映像媒体でアーカイブすることの価値を考えたり、あたらしい「演劇映像」の創作・鑑賞体験を追求したりするための媒体となることが期待できると思います。新しい舞台芸術の可能性に立ち会わせていただき、またレポートを執筆する機会をいただき、ありがとうございました。